小粟田原雪原祭 風船一揆
50年前の春分の日、春を呼ぶ祭りとしてこの雪原で気球の大会を始めた。
7機が集まってくれた。
基地はセンター長の金子さんが快く使わしてくれたカントリーエレベーター。
2m近い雪を除雪してくれたのは、仕事でお世話になっていた砂利屋の中町さん。
前日に雪が降ったので石塚組の行田正美がタイヤショベルで駆けつけてくれた。
ところが、除雪の済んだ駐車場に「露店商」が店を出し始めた。
「バカヤロウ―!」と怒鳴り込んだら、逆にホンモノに凄まれた。
ヤクザと警察とは喧嘩するものじゃない。
翌年から、祭りに警察を巻き込んだ。俺の勝ちだ!
なんて昔のことを思い出し、小粟田原の雪原を眺めていたら風邪引いてしまった。
春分の日
我が家の庭の柿の木の下で、蕗の薹が顔を出していた。
蕗の薹を探して、笠島の海辺の丘や鯖石川の堤防を探して回ったが、家にあった。
何度目になるのか、昨日からまた「鉄道員(ぽっぽや)」を観ている。
高倉健、大竹しのぶ、末広涼子がいい。
死を予感している大竹しのぶの演技を見直し、彼女に引きずり込まれている。
夫婦、動物の場合「ツガイ」とも言うが、人生の相棒に先立たれると簡単にボロボロになる。
動物の場合どうなるのだろう?
3月20日は地鉄サリン事件から30年だという。
新興宗教は初期、既存の価値観と真っ向からぶつかるので弾圧、受難は避けられないようだ。
ただ、空中浮遊と政府転覆が何処で繋がるのか?
毒ガス使っての大量殺人が、人の魂の救済にどうつながるのか?
人生の不満なんて、他人のせいにしても何の解決にもならないのだけれど。
ブルー・ライト・ヨコハマ♪
いしだあゆみが亡くなって、テレビから懐かしい「ブルー・ライト・ヨコハマ」が流れてくる。
痩せすぎで、タイプではないけれど、あの曲に横浜時代が懐かしく思い浮かんでくる。
横浜は母千歳がフィリスに学んでいたとの話も聴く。
禅宗の大きなお寺の檀家総代の一人娘が・・・なんでキリスト教の学校なんだ?
病気で鯖石に帰り、終生横浜の話を姉たちにしていたと聴いた。
幼子をおんぶし、賛美歌を歌いながらハタキを懸けていた、という。
ただそんな話の切れ端から「行かねばならぬ街」だった。
綱島・菊名・六角橋・湘南富岡と流れて、棲んだ。
港の沖仲仕、キャバレイのボウイ、喫茶店のカウンターなどどん底みたいな生活も味わった。
でも、学生時代のバイトなんて、度胸試しのような世界。
街の明かりが とてもきれいな
ヨコハマ ♪ ブルー・ライト・ヨコハマ
足音だけが ついてくるのよ
ヨコハマ ♪ ブルー・ライト・ヨコハマ
あぁ、もうダメだ!
ヨコハマ・・・
そんな時代もあった。
時が流れると苦みも甘い香りに代わってくる。
写真は今日の我が家。
もうすぐ、本物の春が来る。