SDGs市民
最近「SDGs」という言葉をよく耳にする。
最近まで関心がなかったし、「持続可能な開発目標」が何のこったかよく解らなかった。
問題は温暖化が主なカタキで、平均気温の上昇を1.5度までに抑えろということらしい。2030年までに「何とかしない」と地球環境は壊れてしまう。早く「何とかしない」と御飯が戴けなくなると言う。そらぁ、おおごったぞ !
「SDGs市民」という言葉も歩き始めた。
たった一度の人生を正直に、自由に生きたい!その叫びが、デマやフェークニュースを含めたSNSで自分達の「個人の声」が嵐となって政治や産業を変え始めている。
信じられるのは今の自分の「モノサシ」だけ。バカな政治家は選挙で落とし、心に届かない商品は買わなければいいだけのことだ。それが社会を変えてゆく。それが見えるようになった。「市民」が自分達の力に気が付いた時代なのだと思う。
与えられた「奇跡」のような一生を幸せに生きたいという願いは全ての人が求めている。
そして、幸せとは何か、ゆたかな社会とは何か。日本はGNI(国民総所得)では世界第3位だが「世界幸福度ランキング」では世界56位だそうだ。このギャップは何だろう。そして本当の幸福ってなんだろう。立ち止まって、静かに「感じる」ことが大切なのだろう。
「SDGs」とは人が幸せに生きる為の17項目の世界的な課題、リスクだと思う。
貧困や教育の問題もあるし、温暖化による気候変動の問題もある。その危機感を自分たちの問題として考える、それを「SDGs市民」、地域として取り組み始めた、ということなのだろう。
地域の力は教育と共育による。
柏崎には寺沢石城・藍沢南城の歴史があり、更にこんな小さな町に新潟産業大学、新潟工科大学という文系・理系の2つの大学まである。先人たちの「熱い思い」に感謝しつつ、若者たちと新しい柏崎を創らなければならない。全国のそれぞれの地域が、それぞれの組織が自立を模索し始めている。「置かれた場所で咲きなさい」と渡辺和子は言う。未来を創るものは「諦めの悪い根性」だけだと思う。
「柏崎は何もない街です」? もう一度言ってみろ! バカヤロウ !
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