チトセさん74回目命日
昨日は母親の74回目の命日。
5歳の吾子を残して旅立った哀しさは如何許りだったのか。
墓参りに行って来たが、あの時の子供が、手の付けられぬ与太者になっていて、嬉しかったか、哀しかったか?
娘がおばぁちゃんへと花束を用意してくれた。
お墓に合わないようだけど、母が若いころ横浜のフィリスに居たというから喜んでくれたかもしれない。
あの世の住人たちが「ぎっとだねぇ」笑いこけているかもしれない。
何となく嬉しい夕方のお参りだった。
昔、各集落には火葬場があり、「焼き場」と呼んでいた。
みんなここから煙になって天に昇って、今も子供たちを見守っているのだろう。
「ほら、危ないからそっちに行っちゃだめだよ」なんて言いながら。
時は流れ続け、微かな思いで包まれたような一瞬だけでも嬉しかった
お墓参りの足で岩野の八彦神社を見に行って来た。
冬の大雪でご神木の枝が折れ社の屋根を壊してしまっていた。
どうしよう?
写真を撮っていたら、木立の陰から突如「重助どん」が表れ、いろいろ話したけれど解決策なし。
氏子が4件しかなくなったという。
大変だ。
「じょんのび村」村長落選補遺
「じょんのび村」村長募集に応募した。
勿論、高額な報酬に目が眩んでしまったからだが、多少経営に振り回されている一人として無視できなかったのも一因。
以前の株主総会で、余りにも杜撰な経営に毎週通う愛顧者の一人として感情爆発を起こしてしまった経緯がある。
「経営」とはママゴトではない。
株主と経営者と社員と顧客と関連業者の生活共同体だと思っている。
じょんのび村は、その上に高柳町の宝物であり、旧高柳ふるさと開発協議会が2年間に200回も議論を重ねた「精神的地域遺産」でもあることが何より重要なのだと思う。
「じょんのび村」は単なるお湯屋ではないのだ。
今回の村長公募が高柳地域の心を無視したシナリオの出来たマンガだとしたら、俺は怒るよ。
「事業経営」とは業績を安定・向上させ続け、社員の働きがいを安定・向上させ続け、しかも仕事を通じた最高の社会貢献でなければならないと思う。
少なくとも、社員の未来への夢を持ち続けられるような経営が何より大切なのだろうと思う。
私の応募は後期高齢者の再就職を企んだ私欲の塊だが、応募者仲間からはもっと切実な凄いメッセージが込められているように思う。
地域の人たちや、若い人たちの熱意をオモチャにしたら、俺は化けて出てやる。
柏崎日報「響」投稿原稿