バラにバラの花が咲き、確かに何の不思議もないのだけれど、いろいろな花を見ていると神が存在するとしか思えない。
窓下に餌を強請るスズメ達も、争うでもなく、僅かな古米を分け合っている。 親は子供に餌を口移しで与え、子スズメは羽を震わせて「ありがとう」を表す。 感謝は人間の基本的なものかと思っていたが、子スズメ達もその「礼」を弁えている。
小さなスズメ達にも神が存在し、自然は、人間も含めて、神の大きな手の中にいるとしか思えない。
百合に百合の花が咲き、本当に何の不思議もないのだが・・・。
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久し振りに角栄本を引き出し目を通している。 別冊宝島の「田中角栄という生き方」
目白には「明日の鯖石を創る会」を率いて「登城」したことがある。 角さんの最盛期だった。 上機嫌で出迎えてくれて、座敷で角さんは夢を語った。
「ところで、折角来たんだ、何か土産がいるか? (地元の工事等)」 それは親父たちがお世話になっているから、若いもんは先生の顔見に来ただけだ。 「でも、なんかあるだろう?」 折角だから、先生、先生の履いている下駄をください 「いろいろな人がくるけど、下駄くれってのは初めてだ。おい、遠藤君、ゲタやってくれ!」
ロッキードに隠れて、真実が見えなくなっているけど、アメリカの陰謀論の方が納得しやすい。
田中語録33に「賢者は聞き、愚者は語る」とある。 うーん、やられたな。
通勤路の下加納の左手に花だか葉だか判然としないものがある。
家の人は大切にしているらしく、「写真撮らせてもらうね」と声掛けたら「どうぞどうぞ!」
何とも優しい人たちだろう。