李登輝
7月30日、李登輝が逝去した。
この人については、あまり知らない。
ただ、「李登輝 武士道解題」(ノーブレス・オブリージュとは)(初版は2003年4月1日)を読み直してみると歴史上偉大な人を亡くしたな、と思う。
新渡戸稲造に師事し、知的にも政治的にもこんな大きな人はいなかったのかなと思う。
台湾政府の中で李登輝に活躍の場を与えたのは蒋介石の子供蒋経国であり、外省人政府から本省人政府に穏やかな政権移譲を実現させたのは蒋経国ではないかと思う。
彼の悩ましい経歴を調べてみたい。 人間として本物であったと思う。
日本の中に李登輝のような政治家がなぜ現れないのか?
小さな偽善の記憶
ノートルダム清心女子学園元理事長 渡辺和子さんの本を時折開いている。
中村元「真理のことば」とごちゃ混ぜになって頭の中が整理できていない。
「置かれた場所で咲きなさい」に「冬がきたら」という坂村真民の詩がある。
冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと、静けさをしろう
冬は・・・
孤独な私に与えられた宝の壺である
自分はまだ78歳の若造だが、こんな言葉もある。
老いは悲しいことばかりではない。
人間関係を「量から質」に変え
自分を豊かにすることができる。
人間は、全てのものがそうであるように命がある。
人は生まれ、葉を伸ばし、花が咲き、やがて枯れる。
足がもつれ、言葉がもつれ、病に倒れ、やがて枯れてゆく。
死は哀しいことではなく、生が完成して、再び自由になる日なのだと思う。
葬式の時、皆が悲しい顔をするのは死者に対する思いやりであり
みんなが嬉しそうに笑っていると、死者が「ムカッ」としてまた生き返ったら、話がややこしくなるからだ。