人新世の資本論
柔らかに柳あおめる北上の
岸辺目に見ゆ泣けと如くに
まだ柳は芽を出していないがそんな風景が間近くなった。
鯖石川は二の雪解け水を集めて、まさに春の奔流・・・まだまだかな?
文春4月号の特集、斎藤幸平と池上彰の対談『マルクスの「資本論」が人類を救う』がいい。
副題に いま『人新世の「資本論」が読まれる理由』とある。
新しい時代の幸福の形を語る凄い本 と思って読んでいたが現在「新書大賞1位」を受賞したとの由。
利益を求めた大量生産資本主義は行き詰まっているのは感覚で分かっていた。
ならばそれに代わる「人を幸福にするシステム」とは何なのか。解らなかった。
いや、今も判らない。
本を読んでいても、こんな特集記事を読んでも判らない。
多分、この本に何かがあるのだろう。
自分なりの答えを見つけなければならない。
時間がないのだ。
蒼穹の昴
先週少し飛ばしたら週末は仮死状態。
ベッドで夢現状態で何回目かの「蒼穹の昴」にきづり込まれていた。
いい歳こいて、こみ上げてくるものを抑えることも出来ず、読み耽っていた。
「人は信ずべし、信ずるべからず」
小説の中で伊藤博文が会津の生き残り芝少佐に伝えた言葉だ。
「人は愛するに足り、誠は信ずるに足る」
これはアフガンで死んだ中村哲の言葉。すごいなぁ。
人を信ずることはできるが、人に信じてもらうのは至難の業。仕方ないね。
康有為が残した言葉
「改革は自強」、自らを悟り、自らを鍛え強めることのほか改革はありえない。
運とかそんなものは自己の改革に全く関係ない、人間を取り巻く環境の一種でしかない、という。
歴史とフィクションの判別もつかないまま、浅田次郎の世界に埋没てしまった。
棺の中に「中原の虹」と「蒼穹の昴」を入れて貰えば、俺はあの世でも退屈しないで生きていられる。
言葉の破片をかき集めて、おもいつくまま張り付けて生きている。
人は優しくさえあればそれでいいと浅田は言うけれど、俺には「愛」が解らない。
初期仏教の「愛」には多少辿り着いている気もするのだが。