翠山荘
雨上がりの庭の一隅に生える苔が奇麗だ。
周囲の山の翠が霧の中に浮かび、贅沢な風景を楽しんでいる。
石曽根の実家の壁に「翠山荘」と彫られた額がかかっていた。
蔵書には「翠山荘主」の印が押されていたのを思い出す。
行兼の地名は、戦国末期舘林の城が信長の武将滝沢一益に落とされた時、先祖が逃げて逃げてここまで来たとき「もう先には行けない」と言ったのが地名になっていると聞いた。
これは史実では無さそうだ。
その庭には「鯖石様」が祭られていて、五代目の先祖が出羽湯殿山より持ち帰った1尺8寸の鯖の形をした石を、鯖石の名の謂れなのだが、祭ってあるのだという。
いい加減な言い伝えで、以来石塚家はホラ吹きが多いとも・・・自戒を込めて・・・すべて祖先からのDNAのせいにですが・・・。
写真は中鯖石コミュニティの交通公園にて
悪霊払いの花火を
片貝の花火が好きで何年も見させてもらった。
浅原神社への奉納花火で、打ち上げ場所は神社の裏山のスギ林の中、桟敷席は山に向かっているので一番前の席だと時折花火の欠片が落ちてくる。
奉納花火だから、人に見せる花火じゃないから、神様が喜んで貰えればそれでいいのだと、だから雨の日も番付通りの花火がドッカーン!
垂れこめた雲が少し赤くなると、町の人達は「バンザイ!バンザイ!」と狂喜乱舞している。
この町全体が狂ってるみたいだけど、少しラテン系の街だからこれで良いのだ。
そして花火の原点はここにあるのだろうと思う。
昔、疫病が流行って病人や死人が多く出た時、これは祟りだと。人々は悪霊払いの為に青竹を火にくべて竹が破裂する大きな音で悪霊を追い払った。
時代とともに爆竹になり花火になった。
本来花火なんて人に見せるものではなかったはずだ。
それに色を付けたり、音楽を鳴らしたり・・・邪道だ。
現在、柏崎も世界中も新型コロナウィルスに怯えている。
政府もテレビも新聞も不安をまき散らしている。
ワクチンが出来ない以上仕方ないが、生活基盤である経済の先も見えない。
大酒飲んで「ゴド」まいているのが何よりゴォッツォのザイゴモンには新型コロナは疫病神と貧乏神による悪霊の仕業としか思えない。
中越沖地震でもみんなで鎮魂の花火を上げた。
今年は観光の花火は中止になったという。
ならば柏崎の花火も悪霊払いの原点に戻って、八坂神社の海で、桟敷席なしで、柏崎をロックダウンして、そして未来に向かって本気で感謝と祈りの花火を打ち上げてみませんか。
ドッカーン! と
柏崎日報 投稿原稿