論語読みの論語知らず
勉強は出来るが娑婆での応用力のないバカモノを、陰でそう言い腐していた。
何かの本で読んだことを咀嚼消化せずに自分の見解のように話す恥知らず。
バカタレ ! ハナタレ ! クソッタレ ! とミソクソに言っていたが、どうもそうでは無いらしい。
要は、自分で分かっている心算でも、案外分かっていないんだと悟ることがさらに大事、とのこと。
中途半端に安岡正篤を読み始めたら1ページ毎に無数の槍が飛んでくる。
まさに「吾日に吾身を三省す」である。
「自分は日に何度かわが身を反省する。
人のために考え計って努力出来なかったのではないか
友と交わって誠実でなかったのではないか
教わってそれを習熟しなかったのではないか
人間万事「省」の一字に尽きるとも言えるという。
「省」とは省くの意味もあり要らぬものを捨てること。
文科省は要らないのかも知れないね ?
アフガンとの約束 中村哲さんのこと
そんなに分厚い本ではないが、読了まで時間がかかった。
先日行われた中村哲さんの葬儀に5000人が集まったとのこと。
中村哲さんが25年にわたりアフガン精一杯に尽くしたことは日本人の心に響いたようだ。
かの地で、彼の棺を大統領が担いでいたのが印象的だった。
2001年、9.11のあと、テロ撲滅の片棒を担ぎ、日本も派兵した。
「戦闘が行われている所が戦地」だと時の首相は子供騙しの論理を展開し、野党は黙った。
自衛隊は米軍の傭兵になり下がった瞬間だったのかも知れない。
自衛隊の派遣は全くの無駄だ、と中村哲は国会で静かに叫んだ。
国会内に嘲笑が起こったという。
なんという国だろう。
本を読みながら、こんな人に会ってみたかったと思う。
こんな人の下で働いてみたいとも思った。
静かな自己観察とユーモア、真のリーダー像かと思う。
哲学と行動力と深い人間愛、そんな浅はかな表現しかできない自分に呆れる。
ペシャワール会
頼んでいた中村哲と澤地久枝の共著が届き、夢中で読んでいる。
ペシャワール会の、中村哲との対談集。
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
互いの相手に対し深い理解と尊敬がなければ、こんな対談が成り立つわけがないし、深い。
中村哲さんはクリスチャンであることは聞いていた。
しかし子供の頃、意味も解らず素読させられた論語の教養が根を生やしている。
安岡正篤の本もそうだけど、人を束ねるリーダーの徳を説いている。
群衆は指導者が一つの方向を歩かなければ、バラバラに動き、力にはならない。
中村哲さんが複雑なアフガンの地で、扇の要としての自らの役割を自らに課せていた。
中村さんは死んでリーダーから神になった、と思う。
だが人を束ねる生身の指導者はどうするのだろう。
この辺は後で本からそのまま拾う。
澤田悦枝氏を高群逸枝氏を同一人物をと間違えていたようだ。大きな迷惑だね。
高群逸枝の女性解放史の本は理論社でたくさん売れていた。
こんな分厚い難しい本を人はよく読むなと、お茶の水の東販や日販に自転車で運んでいた。
昨日リケンの北斗会で川上元明さんと一緒になり、全学連華やかなりし頃の話に夢中になり些か飲み過ぎた。
彼は日大全共闘のリーダー秋田明大の友人で、お茶の水解放区に青春を燃焼させた一人だ。
東大全共闘の山本義孝の名も浮かぶ。安田講堂。
雪国大和町病院の黒岩卓夫さんの樺美智子さんの話も記憶から去らない。
青春を燃焼させた人たちの思い出は懐かしい。
戻ってきた喜多郎
CDアルバムの中から「敦煌」を見つけ、嵌まってしまった。
何だろう? この体の中に浸み込んでくるような喜多郎の調べは !
NHK「シルクロード刺繍の路」に夢中になったのはもう40年も昔のことだ。
昨日見たウランバートルのマンホールチルドレンに惹きつけられ、モンゴルの草原を思い出し、連想はシルクロードに飛び、タクラマカン砂漠の敦煌に行き着いたのかも知れない。
そう言えば西田敏行、佐藤浩の「敦煌」ももう一度見たい。
喜多郎の「敦煌」は夜が近付いてくる夕暮れ時がいい。
西の空を見ながら・・・こんな時間もいいもんだ。
夜中になって宗次郎の「大黄河」を飽かず聴いている。
壮大な中国史を生きた名も無き人達の日常が目の前に広がってくるようだ。
安岡正篤の孔子の時代に引き込まれているのかも知れない。
人間愛すべし
中村哲さんの言葉が沁みる。
「人間は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
マンホールチルドレン
マンホールチルドレン
その言葉が迫ってくるのはモンゴル ウランバートルの話だからだろう。
家庭が崩壊し、親に捨てられた子供たちが生き延びるためにはマンホールしかなかった。
NHK-BSの「マンホールチルドレン ボルトとダシャ 20年の軌跡」に言葉は要らない。
良くぞこれだけの映像を追いかけ、残し、最良の文学作品に仕上げたと驚嘆する長編。
もう35年近く前、ウランバートルで国際気球大会が開かれ、高本と俺が日本代表で空を飛んだ。
人民広場から飛び立ち、ジンギスカン・ホテルから離陸し、広大な草原を超え、草原に降りた。
ウランバートル市長の歓迎会で強かに酔い、モンゴルに酔っていた。
その町にこんな現実があることに思いもよらなかった。
モンゴルの、高本の友人たちは立派なアパートに住んでいたんだもの。
貧乏は人を育てるという。
安岡正篤の孔子を読んでいたら、貧窮した家に育ち、苦労して自立したという。
まだ読み始めたばかりだけれど、論語が人を引き付ける魅力のもとはそんな環境から得たものなんだろう。
孔子の生涯を追った宮城谷昌光の「孔丘」も読んでみたくなった。