レジリエンス・データ・マネジメント・プラットフォーム
3年ほど前から進めていたAI人工知能の研究が一つの成果を出しつつある。
SDMP 安全データ・マネジメント・プラットフォームの構築。
Safety Ⅰ、Safety Ⅱ という安全に対する考え方をシステム上に落とし込む。
考え方もシステムも難解な研究・作業が続くが楽しみだ。
今回は東電と長岡技科大で交わされた「防災・減殺に関する共同研究プロジェクト 並びに包括連携契約」の一端を長岡技科大とともに進めることになった。
研究所を柏崎モノづくり活性化センターから長岡NICOプラザに移し、共同研究を進める。
レジリエンスとは、「回復力」「復元力」または「弾力性」とも訳され、ストレスと言った外的な刺激に対する柔軟性を表す言葉、だそうです。
Safety Ⅱの主要部分かと思うけれど、安全システムは過去の考え方・データを基本に置くけれど、Safety Ⅱは「人間臭い」ところを大切にするという。解らん !
判らないだけに、猛然とファイトが沸いている。
写真は安田明神の向山ファームで咲いていた梅?
Lost Generation
失われた世代
卒論のテーマがヘミングウェイだった関係で、この言葉が離れない。
自由を求めながら、古い価値観の中に埋もれる社会との軋轢、もがきが題材。
打ちのめされながら、明日を暗示する「日はまた昇る」
あの虚無の世界から生きる希望を見出すジェイクの姿が忘れられない。
若いスペイン人闘牛士のペドロ・ロメロの瞬間を生きる、その瞬間の為に全人生を制御する、いやその瞬間の為に生きる、ニヒリズムを吹き飛ばしてしまうような生き方が素晴らしかった。
今、全世界が狂い始めている。
新型コロナウィルスに対応する社会全体が小さな正義に、小賢しい正義に抑え込まれようとしている。ルールを決める人たちの喜びの中で反論は一切許されず、自分の中でもそれを正とする考えに、自由が失われている。
政治も経済も賢者がリードしているわけではない。
リーダーとは何か?
「我が勲しは、民の平安」と叫んだ張作霖の時代と比べてすべてが小さくなった。
真のリーダとは「私心-私欲」を捨てた自分の使命に対する忠実さだろう。
この後に来る時代が恐ろしい。
単に新型コロナウィルスだけでなく、1000年に一度という文明史的変動にどう立ち向かえるのか。
学生時代、福田実先生に出会え、「日はまた昇る」を卒論テーマにポジティブ・ニヒリズムに出会えたことは、今になってもそのことの価値は、自分の中で、色褪せる事はない。
Fukushima 50
「フクシマ」から今日で9年。
長岡技科大との共同研究のテーマが「防災・安全管理システム」
3月6日に「Fukushima 50」が封切られ、まだ見に行っていられない。
「Fukushima 50」は2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対し欧米など日本国外のメディアが与えた呼称、という。
命がけで戦った人たち、という意味だろう。
「防災・安全管理システム」を膨大なデータと人工知能を使い本来の役に立たせるにはどうしたらいいか? 起こった事故と、それを封じた現場の人達の取り組みを知らないと、システムの命が入らない。