角さんの「ゲタ」
浪人時代は小宮山量平さんの理論社で住み込みのアルバイトをしていた。
予備校から帰ると各界の論客が集まっていて、その片隅でのお茶出しは無茶苦茶に愉しかった。
多少赤っぽいのは、その時受けたDNAのトバッチリが残っているのせいかも知れない。
帰郷当初、角さんは遠かった。
だが仕事の関係もあり、「西山のアンニャ」田中角栄さんの選挙運動を手伝うようになり、辻説法について回るうち、この人はとんでもない人なのかも知れないと感じ始めた。
「日本列島改造論」は俺達を夢中にさせた。
当時「明日の鯖石を創る会」で南鯖石と中鯖石の未来を語りあった。
「何とかしなくちゃならない」、バスを仕立てて目白に伺った。
朝から角栄節が炸裂し、俺達は完全にイカレてしまった。
話が終わって先生が「鯖石で俺に出来ることはないか」「先生のゲタを下さい!」「ゲタをくれってのは初めてだ。おい、遠藤君、庭のゲタをやってくれ!」
鯖石の未来に「ゲタ」を預けられた我々は悩んだ。
あの「ゲタ」は写真付きで東山事務所にあったが真紀子さんが西山に持っていったという。なんて人だ ! ゲタを返せ!
ただ、熱気だけはあった。その熱気に「呑んだ勢い」で火が噴き出し、何人かの市会議員と若い県会議員を生み出し、小千谷の市長を国会に送り出す一つの力にもなったと思う。
だが、同時に政治の限界も見えてしまった。
政治家の力を借りても、所詮根本的な解決にはならない。
「ルサンチマン」というのか、行動を伴わない内に秘めた嫉妬みたいな戯言は何の解決も生み出さない
大切なのは自分達の独自の目的と生き方だ。
石原慎太郎は角さんを「天才」と書いている。
角さんは天才じゃない。
角さんは恐ろしい程の憤怒と努力の人で、角さんの裏の顔に「おにょろいさん」を見たことがあるか?
「越山」に込められた怨念を湘南のボンボンに解って堪るか。バカヤロー !
「我が勲し(いさおし)は民の平安!」
浅田次郎が満州馬賊の頭目張作霖に叫ばせた馬上の雄叫びが角さんに重なる。
角さんの目指したのは日本の真の独立であり、地方経済の自立であり、日本人のプライドの復活ではなかったのか。
アメリカには危険な人物と映り、夢半ばで倒された。
「民の平安」を祈って決断し行動する政治家は短命だ。
何も決断しなく行動しない政治家は長生きする。
トランプにヘラヘラしている長州野郎に何が出来る。
柏﨑日報 5月31日掲載分