雀の涙
2月23,24日は「おぢや風船一揆」。
雪原に色とりどりの熱気球が舞う雪国に春を呼ぶ風物詩。
雪原に気球が浮かぶ絵のような世界に、童謡「春よ来い」(相馬御風)がよく似合う。
先週、山本山を訪ねたら西中の会場予定地に「風船一揆」の旗が立っていた。
雪は少なめだけど、晴れてくれるといいんだが・・・。
ただ、最近は気球を上げる雪原会場にも足が遠退いた。
夜の交歓パーティにも出席出来なくなり、家で指を咥えているだけ・・・歳かねぇ・・・。
話を変える。
「小さな雀の物語」の後も雀たちが庭に遊びに来ていてくれている。
掌で餌を啄ませるのが夢なのだが、野鳥は警戒心が強く無理らしい。
無理と言われると俄然ファイトが沸いてくる。
野鳥の会の友人は、冬は餌が少ないので、少しでいいからやって欲しいと鳥の親戚みたいなことを言っている。
彼は巣から落ちた孵化したばかりの雀の雛を育て、家族のように一緒に暮らしていたという。
ある冬、炬燵の中にいたのを知らないで踏ん付けてしまい、その話になると声を詰まらせる、まるで人間みたいな人間なのだ。
そうか、冬がチャンスかと思うが中々慣れてくれない。
雀たちは窓の近くで餌を催促するけど、窓を開けた瞬間みんな嬉しそうに逃げていく。
俺の顔がそんなに怖いか !
でも、身を隠して見ていると家族だけでなく、兄弟や親戚から加納の雀をみんな呼んでくる。
自分の分が無くなるのに人のいい雀だ。
ただ彼等は内気な俺の遊び相手になってくれている。
観察しているとスズメたちの「リスク管理」には驚かされる。
少しでも危険を感じると、東北地方でいう「てんでんこ」、バラバラに逃げる。
危険を察した順から逃げ出す。
何があっても、まず自分だけは生き延びるということか。
「避難訓練」が行き届いているのかな。
垣根代わりの竹林や建物の屋根で暫く様子を見ていて、一斉に飛び立つ。
弱い者はまず逃げる、そうして命を繋いできているのかも知れない。
「雀たち今日の夕飯食ったかな」
なんて一茶ばりの名句を作ってみたけれど、夏井いつきさんにボロクソにされそうだ。
「遊んでいろよな、雀でさえも生きる為には苦労する」
誰だったか、昔の落語家の色紙が記憶に残っている。
雀も人間も、目が2つで手も足も同じ2本づつ。そして同じように、涙を流しながら生きている。
柏崎日報 2/23日掲載分
飛べないハクチョウ
立春が過ぎたけどザイゴは奇妙な冬に戸惑っている。
例年だと寒さに震えている季節に、今年は暖かいのだ。
古い話になるけど、昭和終わり頃の大雪は酷かった。
加納では3メートルを超す積雪が3年も続いた。
冬場仕事にならない職人達と「雪援隊」を組み、年寄りの家の雪下ろしに精を出していたのを思い出す。
仕舞酒が過ぎお互い真っ直ぐ歩けないのを笑いあいながら雪降る夜道を家路につく大声が白い暗闇に融けていった。
「雪地獄、祖先の地なれば住みつげり」雪国十日町の嘆きだけど、温かい味があった。
あれから温暖化で今年も雪は少ない。
ただ迂闊に「雪が少なくて良いあんべぇだね」なんてノンキなこと言ったら袋叩きにされてしまう。
土方の冬は「除雪」が頼りだし、「ガルルのスキー場」もそう。
「小千谷風船一揆」も雪が少なく、関係者はヤキモキしている。
吉井の長橋の池に飛べないハクチョウがいる。
春になっても北に帰れず、近所の人の世話で蓮の葉の陰で夏を過ごしている。
冬が近づくと、シベリアから離れていた家族が帰ってくる。
飛べないハクチョウが家族と一になって、嬉しそうにしている姿はどこか悲しい。
雪のない冬だけど、間もなくまた別れの季節がくる・・・。
最近、原発が事故を起こした時の夜間積雪時の避難訓練が議論されている。
市長が自分自身で車を走らせてみて「危険で困難」と実感したとのニュース報道があった。
最高指揮官が前戦視察をすることは素晴らしいことだし、説得力が全く違ってくる。
本当は豪雪時のあの暗闇の白い道を走ってみて貰いたいとも思う。
みんな飛べない翼しかなくなるんだよ。
原発災害は夜間積雪時だけでなくフクシマのように地震や津波、それに暴風も豪雪も想定すべきだと思う。
「危険で困難」な状況で「避難は不可能」と考えるべきだろう。
だとするならばどうせ帰れない「避難」なんて考えない方がいい。
原発に従事する人達にはもっと覚悟を決めて「絶対に安全な原発」を実現させ、柏崎の経済も支えて欲しい。
「産業」は人を幸せにする為に存在するのだと思う。
「もし、事故が起きた時」なんてテレビや新聞のコマーシャルを流し、地域の不安を煽り立てて何考えているんだろうと思う。
俺ぁ柏崎を捨てて逃げるなんて考えたこともないし、加納の我が家を離れるなら死んだ方が幸せだと思っている。
冗談じゃないよ。
避難なんて絶対イヤだからね。アッカンベーだ !
柏崎日報 2019/2/9 掲載分
風力発電は火の車
風にも色がある。
そんなことを教えてくれたのは年配の空の男だった。
もしかしたらB29の.撃墜王、南条の樫出勇さんだったかも知れない。
上空の空気は300メートル位の層に別れ、微妙に色が違い、それぞれに流れる方向が違うのだと言う。
「風か吹けば桶屋が儲かる」だと。
風力発電をやろう! と悪い仲間に誘われその気になった。
最初大変だけれど、10年も経てば飲み代が出るぞとのこと。
よし解った、やろうじゃないか。
「飲み代云々」とはバカに説得力があった。
インターネットで調べたら「風が吹けば・・・」というのは「意外なところに影響が出ること、また、あてにならない期待をすることのたとえ」とのこと。なるほど・・・。「飲むこと」に目が眩んでいたか・・・。
協同組合ニューエネルギー・リサーチの組合員になり、16年間他人事のように風の丘に立つ風力発電を傍観してきた。
風の力で風車を回し、そのエネルギーで電気を発生させる。
ところがどっこい、そんな簡単な話ではなかったようだ。
風が弱いと発電せず、風が強いと風車の羽が吹き飛び、雷は落ち、担当理事達は安閑として寝ていられなかったという。
修理費だけで豪邸が2,3軒建つくらいの金が吹き飛んだようだ。
たまげたの。
風力発電は火の車だったのだ。
最近はその苦労が実り風力発電は一生懸命稼いでいる。よしたよした。
再生エネルギーには興味があり情報だけは集めてきた。
太陽光発電、モミガラ発電、波による発電、海水から水素を取り出せないかとか、地熱発電等も考えられる。
しかしどれも可能性としてはあるが規模や経済性で今のところ無理のようだ。
電気は途方もない利便性を与えてくれるし、驚くことに山奥の一軒家まで電線を引いてくれた。
これからは考え方を変えて、自然のエネルギーによる一家に一台の小規模な発電機が出来ないだろうか。
小さな発電機なら柏崎でも創れるはずだ。
石油を巡る紛争も放射能に脅えることもなくなり、世界に大きな貢献が出来るだろう。そんなことが出来ないだろうか。
地元でも情報に明るく、研究している人も多い。
「柏崎市地域エネルギー・ビジョン」なんかも何処の馬の骨かも解らない(失礼!)外部のコンサルタントに頼らないで、地域の人達の夢をもっと大切に育てて欲しいと思う。
心配だろうけれど「豚もおだてりゃ木に登る」といいいますねか。
情熱と行動力があれば知識不足は何時でも取り戻せる。
その苦労の蓄積なしには地域に何も残らない。地域の元気とは根性のなんだと思う。
お金がない? 風力発電で稼いでやるよ ! まかしとけって !
柏崎日報 2019.1.28 掲載分