米山検校
柏崎インサツから地域限定版の「評伝 銀のつえ−−米山検校を探して」が出版され、早速目を通している。
米山検校は勝海舟の曾祖父にあたり、杉平の実家「山上家」は昭和43年、杉平地域の土地改良工事で随分とお世話になった。また創業時、コンピューターグラフィックス関係でご指導頂いた日大理工学部の戸川隼人先生は、確か勝海舟の血筋の人だと1度だけ奥さんから聞いたことがある。
また、巻末の家系図に検校の長男が郷里に戻り「小林家の祖となる」と記されている。杉の入の小林家だとすると自分とは深い縁がある。確認してみる必要がありそうだ。
写真は柏崎市杉平(旧北条町東長鳥字杉平−杉の入+平沢)地内 米山検校出生地の山上家跡地
「蜩ノ記」
最悪の体調と屋根の復旧工事の慌ただしさで自宅にいるのも難儀で、信濃路を走ってきた。つまり、それだけの体力はあったと言うことなんだろうが・・・。
まだ梅の花が所々であるだけで、桜も咲いていない信濃路は、だけど北アルプスの山波が続く松本は心が安まる。
葉室麟の直木賞受賞作「蜩ノ記」は心に染みた。
人間は何時か死を迎えるのだけれど、切腹の日まで凛として生きる1人の侍の日常に、不甲斐ない自分の心が静められる。
全編に、近くの貧乏百姓の倅源吉の幼い妹「お春」が切ないほどの存在感を以て迫ってくる。70歳が近くなって、妙に涙脆くなってしまったのか、小説の主筋もさることながら、源吉の背に負ぶわれたお春が本を飛び出して、今もそこにいる。
親父の命日
今日、4月10日は親父の命日。
早いもので、もう60年が過ぎてしまう。
死ぬ前夜は、隣の姉の家で親父と俺と甥の3人で風呂に入り、俺の脱腸気味のチンボコを掌にのせ、心配そうに眺めていた姿が今も脳裏から離れない。翌日登校したら直ちに家に帰れという先生の言葉。30分の道のりを、何が起きたのか懸命に考え続けながら歩いた。
行兼集落の手前、岩野の坂に近づいたとき「紋兵衛」のとっつぁんが自転車で迎えに出ていて「載らんかね」と声を掛けてくれた。
何が起きているのか理解できず「載らねぇ」と意地を張ったら「左右衛門」のじさんが「おおごったのう! 昨日まで何ともなかったのにのぉ」との会話を聞いて「親父、死んだな」と思った。
葬式は一部始終を覚えている。遠い昔の話だが・・・忘れたら自分に価値がなくなる。
4月10日は、だから気が重い。
周光院の横山住職に毎年お経を上げて貰っている。
戦後の公職追放であたら有能な政治家が野に埋もれてしまったのは、子供としても惜しすぎるように思う。
地域経営とは何なのか、厳しすぎる現状の中で、先頭に立って実践してきた事蹟は語り継がれている。 世の中随分変わってしまったが・・・それもまた人生なのだと思う。