バラとバァさん
爺さんは夜な夜な町の悪所に飲みに出かけ、バァさんは隣の畑で胡瓜やトマト、茄子にゴーヤにオグラに後なんか一杯作っている。
昼間は会社で金庫番をし、食事と宿六の世話と畑作りに精を出している。従って爺さんは頭の上がらぬ生活を強いられているが、世慣れている俺は、自分の立場が弱いときは敵さんを褒めちぎる、のが武家の嗜み、もしくは常道と心得ている。
畑の南側にパイプ車庫の骨組みを利用したバラ棚がある。北側はゴーヤに占拠されている。バランスと情感に欠けるけれど、それはもう女親分の仰るとおりに・・・美と実利双方を求めた結果だ・・・異論なんてありえませんて。
で、ご主人様をカメラに収めてみた。案外と見栄えがいいじゃん!
なんてことで、彼女は畑の手入れに余念がない。小さな畑だけれど、週末に娘達が来れば畑で取れた持ちきれないほどの野菜を持たせてやるのがバァさんの最高の楽しみのようです。
畑って不思議なものですね。
今年もまた、クロトンボ
朝、玄関にハグロトンボが見えた。
「ごめん、夕方また来てくれる ? 」
陽が西に傾いてころ、本当に彼女は遊びに来てくれた。見つめると、さっと逃げて、カメラを向けると近づくのを許してくれる。モデルのようにポーズを取ってくれたりして、暫らく鬼ごっこみたいに遊んで、目を放した隙に庭から消えていた。
見上げれば、戻ってきた青空に一匹のトンボが、あれは何でだろう? 直角に曲がりながら翔んでいる。庭の片隅を掠めて行く蝶も見えた。
早朝ドライブで山道を走りながら「蛇を見なくなったね」と妻と話していたばかり。車に轢かれた蛇やタヌキの死骸を見かけなくなった。寂しくなって、夕暮れの石川峠に車を走らせたら季節外れの鶯の鳴き声が聞こえ、何となくホッとした気持ちになれた。
そういえば、鯖石川の近くの田圃で色に灰色の混じった鷺よりも大きな鳥を見かける。余程用心深いのか、かなり遠い距離でも必ず飛び去っていく。望遠レンズが欲しくなる瞬間。
自然の中で縄文人の心に触れながら、普段は修羅を生きている。まだ本当の修羅には程遠いのだろうが、ヨシキリがざわめく堤防を、腑抜けのようになって歩くのもいいもんだ。
ランの散歩
加納の自宅の近くを流れる鯖石川は、昔から7月14日の田島集落の毘沙門様の縁日に、必ず洪水になる。学校は水浸しで当然に休み。悪童達は水嵩の増した小川に台所の笊を持ち出し小魚取りに忙しい。
大きなタモを持った大人は大物を、笊を手にした子供は小魚を、夫々の獲物を見せ合いながら「気を付けろ!」と一言残し、もう次の魚場に移動している。
田圃は全面泥水に埋まり、今年の収穫は・・・心配してもしょうがないのだろう。水に過不足なし、という。なるようにしかならない。それが自然の中で生きるということだ、と知った。
何時もより早く家に帰り、ランに謎をかけられて、散歩に出る。
この犬は吼えたり飛び掛って散歩に連れて行け、とは言わない。ただ、じっと俺の目を見つめ「ねぇ、連れて行ってくれる?」 実を言えば俺はこういうタイプに一番弱い。
「仕方がない、散歩に行ってくるか」その言葉が終わらぬ内に脱兎の如く前の公園に向かって走り出している。人間の年で言えばもう70歳を越えているはず・・・なのだが陽気なランは関係ないみたいだ。
でも、時折長い散歩をすると「予定外のコースだ、年寄りに無理させないでくれ」と座り込んでしまう。
SOSを発信し、女房が車で迎えに駆けつけるのを待っている。何とも横着な犬だが、まだ死にそうにない。もう十分に生きたから、そろそろ良いんじゃない? どうだ? ラン!