晴好雨奇

2009年06月20日 風の戯言


 柄にもなく、俳句の世界を覗き見している。
 新潟工科大学の宮沢教授が「正雪」俳号を持ち、出版記念会を新春句会という飲み会にしてしまったのが間違いの元だったかも知れない。
 宗家松村商工会議所会頭がリベンジの「初夏句会」をやろうと言い出し、「紙風船」かなと迷いながら兼題は「心太(ところてん)」に決定。
 宮澤宗匠から選んで貰った席題は「木苺」。
 句会出席者は松村会頭、広川学長、酒井社長、宮沢教授、新野良子さん、吉野孝也さん、石塚。
 みんな、講義と駄洒落、お説教は任せておいてもらってもいいけど、俳句は???の人たちの集まり。

 宗匠の挨拶で宴会に入り、一応腹のものを出し尽さないとホンマモンノ句会が始まらない、正式の俳句の会には料理・酒はないはずだけど。柏崎流派は飲み出して呂律が回らなくなってからが勝負。さてと句会の始まりを告げた時には料理が一通り片付いた頃。美味すぎる、凄い句会。

  青空の果てなき宇宙に心太 草風
  木苺と笹の団子の閻魔市  草風

 相当クレージーな選者でないとえらんでもらえぬ。日本文化の中で「俳句」ほど狂気に満ちたものはない。

 晴好雨奇 6月は一日一日の草木に風情がある。いい季節だ。
   

スラムドック$ミリオネア

風の戯言

 セガレに薦めらて「スラムドック$ミリオネア」を会社サボって観て来た。ユナイテッド・シネマ新潟は平日の朝のせいか観客はほんの数人・・・劇場の貸切・・・?
 「みのもんた」の「クイズ$ミリオネア」そっくりの番組の正解をジャマールの悲惨な人生と重ね合わせながら解き明かす純愛ドラマ、と言い切ってしまうと背景のインドの階級社会の不条理に対する怒りも無力感も消えてしまう。
 あえて言えば、成熟しすぎて腐敗の始まった日本社会からは想像を絶した、正視できないような「貧困」が匂い立つ様に迫ってくる。
 「ゴミの山」はフィリッピンでもインドネシアでも感じていた。今まで、そこを写真にとっても、映画の主要な舞台として取り上げた映画はなかったのではないか、と思う。
 ストーリーそのものは単純だが、現代社会の病根(そんな簡単な言葉では表せないのだが)の深さ、物社会が悪臭を撒き散らしながら人間を育てている光景など、この星は人間を一日も早く絶滅させ数千万年の眠りが必要なのだと思えてきた。

初夏の風物詩 えんま市

2009年06月16日 風の戯言


 古い柏崎は「八坂神社から閻魔堂」と言われていた。来た前船の寄港地として栄え戸数2千戸を数えたという。当然「悪所」も有った様で、「港町」は古来「演歌の舞台」だったのか、と思う。
 えんま市は寛政年間に始まった馬市がルーツとされ200年の歴史を持っているらしい。当時から賑わっていたらしい。
 最近は2度の地震で痛みも激しい。仏教施設であり檀家を持たない寺なので「個人所有」になるのか、修復が進まない。町内会で立ち上がり、完全修復に向けた動きが始まった。まだまだスタートしたばかりだが、文化財としての品格を保つものにしたい、という。大枚を募金箱に入れてきた。

 今年のえんま市は人通りも多く、久し振りに元に戻った感じ。何か珍しいものがあるわけでない香具師の店が500ほど並び、若い女の子達がびっくりするくらい泳いでいる。
 熱気もなく、伝統行事だから頑張って・・・見たいなノリで3日間続く。ちゃんと儲けているんかなぁ。香具師の心配してもしゃーないけれど・・・。

越後猿八座 旗揚げ公演

2009年06月08日 風の戯言


 6月7日
 人形浄瑠璃 越後猿八座 旗揚げ公演がサンブン会館ホールに入りきれないほどの観客を集め、鳴り止まない拍手の中に幕を閉じた。素晴らしい公演だった。
 主催は「柏崎ゆかりの古浄瑠璃を復活初演する会」で、3段目終了後休憩25分を挟んで6段が幕を閉じるまで約3時間「越後国柏崎 弘知法印御伝記」の不思議な世界に見入った。プレイベンとを2回も見ているハズなのに、サンブンの大きな舞台では初めて見るような感動があつた。
 夜は主宰者と猿八座の面々、そしてロンドン博物館で1962年にこの古浄瑠璃を発見された早稲田大学の鳥越文蔵名誉教授も駆けつけ賑やかな慰労会になった。

 柏崎には物好きが多いから、こんなことをやることには驚かないが、立ち見が出るほどに観客が集まったことには正直ビックリした。ゆう文舎の時もそんな風に思ったのだが、大きな会場になっても驚きは拡大し繰り返している。一口に、日本文化というけれど、テレビ時代になっても完全に消滅しているわけでもないことに、何となくホッとしている。

 
 

娘と娘の娘

2009年06月01日 風の戯言


 9ケ月を過ぎた娘の娘が土曜日に泊りに来る。最近はそれが楽しみになってきた。
 人に愛されることの心地よさを知ったのか、目が合うと笑顔を向けてくる。俺にもこんな時期が有ったのかと少し不思議に思ってしまうのだが・・・敗戦の日に家人が裏の横穴に隠れる相談をしていた3歳の記憶と、柏崎の田町に住んでいたころのガスコンロの青い火と玄関の格子戸だけを何故か鮮明に覚えている。
 9ケ月の日常の記憶なんか残るはずもないが、幼子の笑顔を見ているといろいろなことに思い至る。

 2009年のこの日、GMは破産し、アメリカの巨峰が次々と倒壊している。時代は少しづつづれて来て、ひずみが極限に達した時大きな破壊が起きる。弾性限界を越えた時点で計上は元に戻らなくなるのと同じことで、そこから新しい時代が始まるのだろう。日常生活で大きな歴史の変換点を鳥肌の立つような気分で迎えることも、考えてみれば特異なことなのだと思う。
 平凡な日々に、時間は確実に動いている。
 彼女の未来が明るいものであって欲しいと願う。