片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭
久し振りに片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭に行って来た。今年は見事な秋晴れで、しかも適度な北東の風も入り煙が綺麗になくなったところに次々と大型の花火が揚り、ここ30年でも最高の花火ではなかったかと思う。
特に今年還暦を迎えたとなかいの大花火は見事と言うしかない感動的な花火だった。小さな町の中学の同級会で1000万を越える花火を揚げたこともさることながら、人生60年の時をともに喜ぶことの出来る仲間を持った、その喜びの正に爆発だった。
広い桟敷席から全員が立ち上がり「おめでとう」の言葉に合わせ惜しみない拍手を送っていた。花火のスタンディングオペレーション。何故かしら涙が頬を伝い、鳥肌の立つような感動の中で幸せな時間が過ぎて行った。
よかったね。おめでとう。
貴方達は幸せだと思う。伝統と自分達で創り上げた感動は60台を乗り切って行く大きな勇気と力になると思う。
もう一度、おめでとう! そしてありがとう!
片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭近し
昨年大晦日、中越沖地震追悼と復興祈願の花火は暴風雨の為中止になり、一周年の7月16日、青年会議所のイベントとのコラボレーションで念願の花火が実現した。
これは柏崎の熱意もさることながら、片貝煙火工業の本田社長の熱意によるところが大きい。
先代社長本田善治さんとは当時の星野市長の意向で「小千谷雪原まつり」の企画・実行で大変お世話になった。以来30年余、重陽の節句は大抵片貝で大騒ぎしていた時代が続いていた。最近はサスガに疲れて片貝の花火には行けない年が多くなった。
年末花火のこともあり、今年は「答礼」の意味も含めて久々に桟敷席を手配して貰った。柏崎から関係者10数人で見物させていただくことになった。
昨日、番付と桟敷席の券を貰いに片貝に寄ったら、例年の花火奉納者の名前が大きく張り出されていた。お祭りはこれなんだよな、と思う。
今年は良い花火が見れそうだ。
チビ
取材に来ていた新聞記者に逆取材したら、福田康ちゃんの辞任の原因はアルツハイマーらしいとのこと。初期なら良い薬があるらしいけれど、一国の最高指揮官が痴呆じゃネェ。
我々のレベルじゃ、名前が出てこない、何処であったか忘れた、何を話したか何にも覚えていない・・・なんてことは「通常」だが彼らはそうは行かないだろう。それにしても与党の中にギラギラした存在感ある人が少ないようだ。
政治は文字通り命と正義を掛けた戦いの方が面白い。衆議院も定員100人くらいにすると良い人材が浮かび上がるのかもしれないね。いいけどさ。
チビが家庭の中で存在感を増している。孫は可愛いと言うが、俺にはやはり子供達の方が何倍もかわいかったようだ。全ての仕草が可愛かったし、どんなことも許せた。やはり可愛さの度合いが違う。でも、小さな命が増えたことは、また何と楽しいことか!
たまには空をみなよ!
たまには大空を見ていなよ。雲の流れ行く様を・・・。そんな時間が少なくなった。頬に爽やかな風を受けて・・・一日中海と空を見ていたい・・・うーーん、大分痛んできたな!
そんな感傷に浸っている暇もなく、次々と世界中の激動のニュースが入ってくる。昨日のNHKで榊原英資がグリーンスパンの言葉として「100年に1,2回の大変動」という1929年の世界恐慌の再来を思わせる情報を伝えていた。
世界の資源インフレは需要の落ち込みで早くも変化が出始めたようだ。それにしてもダイナミック&スピーディ。
そんな我が家に娘が娘を連れて帰ってきた。新米パパと子供を風呂に入れるだけで大騒ぎ。全て、市販のマニュアルどおりに子育てに没頭している。良かろう! それが母親だ。加油!
高柳、鯖石の仕事を終わらせて、早めに家に帰った。鯖石川の辺で暫らく雲のなかれるままを見ていた。せせこましい中で、それでも切り取られた「時間」は貴重に思えたね。
たまに男が空を見ている、そんな時間も良いもんだ、よ。