中越沖地震 被災1周年

2008年07月13日 風の戯言


 7月16日午前10時13分
 突如、この町を襲った中越沖地震を忘れた人はいないだろうが、あれからもう1年。
 最近はいろいろなことがあちこちで起きて、記憶も涙も未整理のままだが、もう一度見直して災害に備えたい。
 この天気予報だと、何とか16日は花火が揚げられそうだ。
 みんなの思いを、天に伝えて欲しい。それだけだ。

咳の正体は?

風の戯言


 周期的にやってくる咳き込みを自ら臨床実験のように楽しんでいる。次第に咳き込みの後に意識不明の瞬間があるようで、現状を把握するのに1,2秒掛かるようになった。
 昨夜はお腹の大きくなった娘と3人で食事に出かけ、40日振りに紹興酒を飲み、その後一人でご無沙汰している店に2軒寄りご機嫌になって帰ろうとした瞬間、意識がなくなり倒れたらしく、現状が理解できず「何処で、何してるんだろう?」状態で助け起こされ、直ぐに自力でタクシーに乗りはしたが、何か照れ臭い帰宅になってしまった。
 社員と冗談を飛ばしている内に「最近酒を飲んでないようだから免疫力が落ちたんじゃないか」という魅惑的な解決策にホイホイと乗ってしまった自分が馬鹿だった、ナ。

 臨床実験はともかく、こんな症状にどう対処すればいいのかインターネットで調べ始めた。こんな状態で初めて知ったのだが、ビジネスの上で顧客満足は至上命題に近いのだが何とまた自己満足の世界が多いことかと、つい自分の仕事の反省をさせられた。
 自然にも人間にも余分なものはない。自分中心でなければ精神不安に陥り自滅する。だからそれはそれでいいのだが、他人の心を思いやれる精神状態ってのは自分が不安定だと出来ないのだろう。自利々他。まず自分の為、そして次に他人の為、それが同時に出来ることが理想なんだろね。

 で、咳は何のためにあるか。ただ、人を苦しめる為にあるわけではなく、体内に有害なものの侵入を阻止する為の身体という全能の神の作用なのだろう。彼らはその識別を何処でするのか、センサーを何処で働かせているのか、と考えてみると「喉」なんだね。喉に痰が絡む、多分これは外敵と防衛軍の死体の山、これがなくなると負けたか勝ったかのどちらか、だ。
 まぁ、といわけで安保徹流免疫学の極意、41度の温泉に15分以上浸かれば大抵の病原菌は死ぬ。リンパ球と顆粒球のバランスが取れて、メデタシメデタシとなるはず。信ずれば通ず。信ずれば花開く。
 午後からじょんのび村に行って来る。温泉を楽しみにするようじゃ、老けた感じだなぁ。
 

地球外生命体 ?

2008年07月10日 風の戯言


 何の因果か、咳き込みが止まらない。少しづつは楽になっているのだろうが、呼吸困難になり、やっとのことで喉の隙間から空気が体内に取り込まれるとホッとする。
 別に今更命が惜しいとは思わないが目を白黒させて喘いでいる姿はカッコいいものではない。酒を止めているせいで、免疫力が弱っている・・・そんな言い訳もしたくなる。
 まぁ、災難に遭う時には遭うがよろしかろう、死ぬる時には死ぬが宜しかろう、と良寛は言ったという。自然災害は避けることは出来ないし、生老病死、人間には避けられない労苦はある。
 そんなこんなで7.16が近づいてきた。
 昨年末の追悼と復興祈願の花火が季節風で取止めになり、改めて地震一周年の7.16に上げることになっている。青年会議所のイベントと組んで海岸で250発の花火が夏の夜空に開く予定だ。みんなの願いが天に届いて欲しい。
 ネタが少ないのか、連日新聞やテレビ放映の取材を受けている。素直に自分の気持ちを表せる言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。全ては時が解決する、か。

 夕方、加納の医者ドン、2番目の義兄なのだが、に患者に化けて診察を受けてきた。まぁね時間が掛かるかな、と。薬を貰って自宅に着いたら追っかけ電話が来て、薬を変えてみようということになった。自宅内でペットを飼っている人特有の咳かも知れない、ということらしい。そういえば社内で同じような咳をしている社員はみんな犬を飼っている・・・もしや・・・カモシレナイ。
 酒を飲むことにも効果があるのだろうとは思うのだが・・・。
 

点滴と毒キノコ

2008年07月08日 風の戯言


 相変わらず咳が止まらず、咳込みが始まると目の前が真っ白になり意識が遠のいてゆく・・・なかなか得がたい経験だ。医者に診て貰ったら「そのうち治るでしょう」みたいな、顧客満足度ゼロの診察で、それに付き合うことにした。
 しかしまぁ、咳込みって疲れるねー、会社で壁にもたれて咳き込んでいるとホントに急に年を感じる
 今日も4歳年上の人を見送ってきた。医者で、幅広い活動と多趣味な人で柏崎文化人の典型みたいな人。段々友達が少なくなってゆく。寂しい限りだが・・・これも全て運命。
 彼の話の中で、友人と点滴を打ちながら毒キノコを食っていた話は絶品だった。次第に自分がおかしくなって行くのがわかるのだそうだ。一度その仲間になってみたかった。

「愛」というもの

2008年07月06日 風の戯言


 昨日は新潟県異業種交流センター中越支部主催のシンポジューム「震災を乗り越えて 中越の未来予想図 10年後をどうするか」が開かれ、元新潟県知事平山征夫さんの基調演説の後、知事と西川副会頭、そして俺、震災復興計画策定委員会副委員長の立場でパネルディスカッションに入った。
 主題は地震後の原発に堂取り組むか、ということに尽きるが、詳細はともかく結構ホットないい議論だったと自我自賛している。
 シンポは議論を巻き起こす場所で結論を導き出すところではない。コーディネーターが悪いと各パネラーが好きなことを喋って、欲求不満の塊みたいになって壇上を去るのだが、今回は今後の議論の方向付けが出来たのではないかと思っている。その意味で、いい会に参加させて貰ってありがたかった。

 「愛」とは何か
 あるがままの、そのすべてを受け入れ、愛しむこと。
 その地域に対しても、人に対しても。