桜前線

2008年04月25日 風の戯言


 「桜前線」という言葉に改めて感動している。
 鹿児島から札幌まで2ケ月近くを掛けて北上していく。桜が咲くと頭の中まで桜色に染まって・・・脳はピンク?・・兎に角、一国の国民こぞって一種類の花を愛でるのも変わった国なのかもしれない。
 ご丁寧に遅咲きの変種があったりして、名残惜しさをしっかりフォローしていたりする。

 庭の八重桜が綺麗な花をつけている。

 この花の姿は、俺を狂わせるに十分だ。

自宅の夜桜

2008年04月23日 風の戯言


 業界の会合で夜遅く帰ってきたら庭の八重桜が出迎えていてくれた。まだ7分咲きだけれどその姿や麗し。
 今年の桜は少し早のだけれど、倅が帰ってくる連休まで割いていて欲しい。桜の花の下で、家族揃ってありあわせの昼食を摂るのが楽しみなのだ。40年以上夢中で働いて築いた、広くもない庭と小さな家の家族の城。

 ラーメンに花一片(ひとひら)の宴かな      草風

山 膨らむ

2008年04月22日 風の戯言


 体調を崩し、少し早めに退社した。
 近くの庭で緋桃が満開になっていて、膨らみ始めた八石山によく似合っていた。

越路吹雪

2008年04月21日 風の戯言


 窓を開ければ星達が瞬き、車が通り過ぎた後はまた元の静寂が訪れ、窓下の田圃から弱弱しい蛙の音が聞こえてくる。 ロウソクを灯しながら風呂に入っていると天と地が繋がって、これ以上望むべくもない最上の時間が過ぎてゆく。
 多分、BSで越地吹雪のビッグショーに浸っていたせいだろう。コメントは一切無く、ただ彼女のステージだけが流れる。「サントワマミー」「ろくでなし」「人生は過ぎゆく」・・・音楽とは縁の薄い自分に、改めて音楽の豊かさと人生の深さを示唆してくれる。 「こうちゃん」、と彼女のファンはそう呼ぶ。自分の恋人に対するように親しみと深い愛情を込めて。2人の印象的なファンを思い出す。一人は横浜時代お世話になった貿易会社の周社長、彼は学生だった俺達にいつも「こうちゃん」の話をしていた。もう一人は越後タイムスの吉田元主幹。リサイタルの知らせが届くと「仕事が手につかない」で東京に駆けつけていた。
 俺の人生は何と浅はかで情熱に乏しかったのか・・・今更・・・と思いながらやはりスターと呼ばれる、万人を魅了する人の凄さに感動し、今も頭の中で「ろくでなし」がリフレーンしている。

 余計なことだが、今日の取締役会の後の雑談で中村天風を話した。悩みの深さでしか理解できないのだろうが、生きることの深さと、生きる時間の長さのバランスを考えたりしている。
 今日はいい時間が多かった。

春祭り

2008年04月20日 風の戯言


 平成20年4月20日(日曜日) 麗かな春の一日

 午前中の社員の弟さんの葬儀に参列して自宅に帰ったら、前の公園で村祭りの神輿が一息入れていた。礼服をジーパンに着替えて仲間に加わった。休日にやっておかなければならない仕事が頭をかすめ、輪の中に入れない。そういえばもう何年も祭りに加わらないで仕事と月曜日から始まる闘いの気力を蓄えることだけを最優先させてきたような寂しさが吹き上げてきた。
 みんなが、次々にビールやつまみを持ってきてくれて、空白の時間を埋めようとしてくれている。嬉しかった。
 八所さんという神社が小さ過ぎるし石段も楽じゃない、ならばと回り道を切り、拝殿をを広げたのは何時だったろう。あの頃は近所の村人達と気持ちも一緒だったように思う。
 来年は集落に2つある神社が一つになるという。その時はもう一度みんなの中に交えて貰って、祭りの一日を心行くまで楽しみたいと思う。
 夕方の神社の片付けに行ってみて、まだ気持ちの繋がってるのを確認できて、とてもうれしかった。しばらく、近所づきあいは全部女房任せだったから。