花火

2007年07月26日 風の戯言

 7月26日
 何事も無ければ、今日は花火で今の時間は帰りの車で混雑していたのだろう。

 たった一発、誰もいない海岸でコンビニで買った花火を揚げてきた。ささやか過ぎて無駄な抵抗に近いのかも知れぬ。ただ、そうしたかっただけだ。

地震の後で

2007年07月21日 風の戯言

 地震の後、最初の休日を迎えている。
 一週間を乗り切ったという安堵感と、本格的な復興が始まる来週に向けて情報交換と非常時待機で何人かと会社に詰めている。
 スゴイ打撃の後で、顧客企業が復興への前進を始めている。負けてなるものかという意気込みもあるけれど、災難を現実として受け止めぼやきながらも動き出している、と言うところか。人様の役に立つ仕事があると言うことは何という救いだろう。
 のろのろと、ぼとぼとと、会社にいても出来ることは少ないのだけれど、ここにいるだけで心が静まり、少しづつファイトが沸いてくるのが分かる。
 小さな余震が続いている。もうたいしたことはないだろう。

中越沖地震

2007年07月18日 風の戯言

 災害は忘れない内にやってくる。
 新潟地震や、中越地震は身近であるはずなのに、まさか柏崎が震源地になるなど夢にも思ったことなかった。考えてみれば別に不思議なことでもなく、日本は地震の巣窟みたいなところなのかも知らぬ。柏崎は大火の記憶はあっても地震の記憶は薄れていたようだ。番神沖にに沈んだ石井神社の言い伝えもある。
 しかし、やはり生身には被災はきつい体験だ。幸い会社と自宅は被害は少なかった。インターネットを止めなくて済んだのは何よりも嬉しかったし、災害時の責任を果たしたという一種の安堵感は強い。
 まだ市内を見て回る心のゆとりもないが、それでも一部仲間の企業を覗いてみるとその被害の大きさに愕然とする。それでもみんな笑顔で「こんなことには負けていられないぞ!、頑張ろうな!」とお互いを励まし合っている。「広島も長崎も、新潟も山古志もみんな頑張ったのだから俺らも負けていられない!」と口先だけは元気に、自分を奮い立たせている。どんな時にも、自分自身をめげさせない呪文は大切なのだろう。
 祇園の花火も中止になった。
 俺は諦めきれない。一発だけでもいいから自らと仲間達と多くの人たちが自分を奮い立たせる「何か」が欲しい。

大水の思い出

2007年07月15日 風の戯言


 7月14日は大水(洪水)の思い出と重なっている。

 毎年決まってこの時期に鯖石川が氾濫し、堤防が決壊し、田圃に水が上がった。鮒や鯉が濁流に流されまいと中堤防の草むらに集まり、その魚を狙って大きなタモで魚を追いかける。稲が泥水に埋まっているのにこの大人たちは何してるんだと不思議に思いながら一緒になって魚を追いかけた。

 この日は旧南鯖石村田島の普広寺さんで毘沙門の裸押し合い祭りが行われ、学校も半日休みになり村中の人達が集まった。小さな米俵の争奪に熱気が篭り、露天市も出て、変化の少ない村の生活の中では特別に楽しい行事だった。今はどうなっているのだろう? 近くに済んでいても行くことも無くなった。

 7月の台風としては記録的な4号台風が過ぎていった。幸い、柏崎は心配していた雨も無く、ほっとして休まれた3連休の中日になった。
 会社経営なんて雑多な用事が多く、いろいろ心配すれば限が無い。際限も無いインプットを自動制御するために遊ぶか趣味に没頭するしかないのだろうが、時間の使い方の下手な自分にとってはノンビリと過すここの生活は最適なんだろう。
 雨の心配もなくなった午後、風呂を立てた。明るい内に風呂に入るのは、俺の世代では最高の贅沢で、風呂の窓から周光院の裏山を見ていると心が休まる。屋根下にアジサイが咲き、裏の田圃の稲が勢いを増していた。

 今年は雪が少なく田圃の水不足が心配されたけれど、もう大丈夫だろう。そう言えば昨日は稲虫送りだった。松明と太鼓の音で虫たちを集め、川に落そうという些か現代離れしたこの行事も好きだ。 

七夕ライブ

2007年07月08日 風の戯言


 いつの間にか日付変更線を過ぎていた。
 だからもう昨日のことになるけれど、未完成の七夕ライブはいい時間だった。
 7月1日の未完成創立記念日を少しづらせて7日に七夕ライブをやるようになって4年目。ファンも増えて、小さな店が満員になった。
 若い頃、新宿ピットインで日野皓正を聞きたいばかりに小瓶のビール一本持たされ壁にへばりついてジャズを聴いていた時期があった。遠い昔の話だ。

 演奏の間に新潟ジャズストリートの話を聞いた。新潟地震の直後、デューク・エリントンはハワイ公演をキャンセルして一団を率いて来日し、新潟で励ましのコンサートを開いたという。5年前から始まり、今は町中でジャスが演奏され、新潟の新しい夏の風物詩として定着したようだ。長く続くイベントには魂の物語が語り継がれている。いい話だ。

 コピーは所詮コピーでしかない。コピーは自分の悲しさを自分が一番知っているのかもしれない。だから、感動は伝わらない。どんな状況であれ、己の信ずるものを手放してはいけないのだろう。

 未完成と言う小さな店が4年生き延びてきた。藤巻雄吾君と言う若い一途な情熱が乾いた柏崎という地に一粒の種を育て、生き延びてきている。嬉しいね。彼はそんな賛を照れながら、「いえ、まだまだです」と謙虚に受けとめている。まだまだいろいろな物語があるのだろうけれど、率直に感謝の気持ちを伝えようとする前向きの姿を美しいと思う。
 いつかまた、そんな語られざる物語を感じながら酒を飲みたいと思う。
 いい夜だった。ありがとう。