陽子ちゃんの結婚式
海の見えるリゾートホテル「グランメリー」で開かれた陽子ちゃんの結婚披露宴に招かれ二人の門出を寿いできた。
陽子ちゃんのパパはヨットの吉川公一さん、そのお父さんは昭和43年10月から始まった柏崎市東長鳥杉平の土地改良工事の換地委員長。結局親子3代のお付き合いになる。
また花婿のお姉さんの嫁いだ丸山商店はもう親子4代のお付き合いを続けている。
陽子パパは「パソコン村」の助役さんで、俺がこの職業に入った直接のトリガーを引いた人。姉の万里子ちゃんは今の会社の創業メンバー5人の一人。幾重にも重なった縁に包まれた温かい結婚式だった。昨年な亡くなられた陽子ママのユキイさんが会場のどこかに居るような気がして、祝辞の声が詰まってしまった。
温かい家庭を築いて欲しい、心の底からそう思った。
写真は久々の万里子とのツーショット。
鯖石川治水紀功の碑
我が家の前に中鯖石交通公園がある。昔の小学校の跡であり、この学校は藍沢南城に連なる。そこに巨大な石碑が建っている。
——————————————-
鯖石川治水紀功碑
東頚城郡松代町を源として渓谷の水を集めながら高柳から鯖石郷を経て日本海に注ぐ鯖石川はは川幅も一定でなく曲折箇所が多く中鯖石村では夏期になると水害が多く田畑や家屋敷が度々被害を蒙った。そんな状況を見かねた北村丈右衛門が治水対策に立ち上がり、以来多くの有力者達が陳情活動をすすめていく。大正3年尊重村松利太郎が今禍の源を絶がなければ百世まで悔いを残す、と熱意を持って立ち上がり、ようやく大事業を成し遂げた。
大正八年十一月第一期起工式には県知事太田正弘 が来 した。県費7割補助の工事費は八十余万円で地元負担は村の収入数十年分にもあたり人夫も二十万人分にも及んだ。大正十三年四月竣工式では工事関係者はもとより地元民や来賓の知事も大いに喜びその功績を称えた。
—————————————————————————–
「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分がこの国になにをすることが出来るのかを問え」
有名なケネディ大統領の就任演説の一節だが、原典は新渡戸稲造の英文の「武士道」からの引用だと言う。
我らは、今この国に何をしているのだろう。
味噌汁
考えてみたら、暫らく家で夕飯を食べてなかった。
65歳に近いお調子者、なんて可愛げもないが人が集まると楽しい時間にしたくなるのは美点なのか哀しい性なのか・・・。此処3週間ほど家でゆっくりご飯を食べていないことに気がついた。無性に里芋と白菜と大根の味噌汁が飲みたくてしょうがない、って感じになった。やはり体が要求するのだろうか。
今日も一日自室に閉じ篭って惰眠を貪り岡田英弘の「皇帝たちの中国」を読んでいた。女房が出掛けに作ってくれた味噌汁を温めては老境の一人ものの時間を楽しんだ。秋の日は、コーヒーよりもお茶よりも暖かい味噌汁がいい。
小さな采園の垣根のドウダンツツジがいい色に染まっている。もう冬も近いのだな。
明日は30何回目かの結婚記念日。今思い出した。さて、どうすればいい?