男一人のクリスマス
なにやら「題名」だけでモワァーと臭って来そうなタイトルになってしもうた。キリストが何をしたか、キリシタンが何をしたか、カトリックが何をしたか・・・この問いを並べるだけで怨霊のカラオケ大会が出来そうだ。
しかしまぁ、御維新以来西洋風物はカッコ好く、日本文化は乞食臭かったのか。日本語を破棄し言葉を英語にしょうとした御仁がいた。何人かだよ、明治政府の高官達だ。成功していれば「NOVA」は悩まんでもよかったのにねぇ。
まぁ、何だか分らんけど メリークリスマス だ。
もう少しで2年参り、初詣、除夜の鐘で108の煩悩を清めて
さて、また来年はナニコサ悪いことするだ。キリスト教の懺悔みたいに牧師様に聞いて貰わなくても、日本の煩悩は鐘ついたり酒飲んだりしているとチャラになる。絶対こっちの方が便利じゃぞ。
無題
遅き日のつもりて遠きむかしかな 蕪村
雷が自分のところにだけは落ちないように「くわばら くわばら」と呪文を唱えるのは何故? と不思議に思っていたが陳舜臣の「中国の食物史」を読んでいたら「桑原」は菅原道真の領地なので自分の領地には雷を落さないだろうということらしい。学者ってつまらぬことを知っているもんだ。
冒頭の句
遅き日は春の季語らしい。そんなことはともかく、暮れの近づいた夜はいろいろなことが思い浮かぶ。思い出しちゃいけないことまで・・・蕪村60歳の句
大晦日の復興花火の募金状況
大晦日も近づき、今日は番神堂で住職、檀家、世話人、市役所、商工会議所、NHK、警察等が集まって除夜の鐘と復興花火の経過摺り合せをやった。
30年ぶりのNHKの放映、花火に追悼のローソクなど祭事が多く、参拝客で大混雑が予想され、警備に重点を置いて警察官を配置することになった。
募金は予想を超えて集まり、もう直ぐ予定額を超えそうになっている。後半になって凄い勢いで集まっている。みんなは何を待っていたのだろう。兎に角凄いことになっている。
マンガ文学
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮ぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し・・・。
先日お昼を食べながらコミック誌を読んでいたら方丈記の冒頭の文が出てきた。マンガと侮ること無かれ、最近のマンガ雑誌は下手な小説より数段と奥が深い、と思っている。妙に真剣だし、余韻が残る作品が多い。マンガ文学、だな。
なんて書きながら、時折深い悔悟の中に置き去りにされることがある。悔いてもどうにもならない過去に沈むものと、考えても現実に作用できない未来を思い悩むものは愚か者であると言う。だから一瞬の「現在」が 大切なのだ、とも。
判っているさ。だから目の前の敵に左の頬を打たれたら、相手を殺してしまおうと思う自分の凶暴な心を封印する術も身に付けた。自分でも驚くほど温和なジジイを演じている。最近はこれが本当の自分じゃないかとも思う。
あれこれ悩んでいる内に年末が近くなった。一日雪が遅ければ一日の儲け。春はまたやってくる。
来年は会社の20周年パーティをやろう。