産大寄付講座+地区の運動会

2019.06.09 風の戯言


7日は小雨、8日は雨、そして今日は曇り。梅雨入りしたようだ。
7日は産業大学の寄付講座、農研機構から八谷博士に来て貰い特別講座を開催。
150人教室がほぼ満杯。
これからの農業を考えるにいい授業だった。
夜は日本海の夕陽を見ながら八谷さんを囲む会を.企画したが夕陽は残念。当日はお休みだった。

日曜日は地区の運動会。
緑の草の上での運動会には、何か温かい雰囲気があった。

痴呆とバラの日々

2019.06.05 風の戯言

田圃の早苗はしっかり根付き
山の翠は奥が深くなった。

天空は蒼く、遠い山にはまだ白いモノが見える。

庭のバラは満開になり、

バラの日陰でコーヒーを戴いているのは

罰当たりみたいに豊かな時間。

角さんの「ゲタ」

2019.06.03 風の戯言

浪人時代は小宮山量平さんの理論社で住み込みのアルバイトをしていた。
予備校から帰ると各界の論客が集まっていて、その片隅でのお茶出しは無茶苦茶に愉しかった。
多少赤っぽいのは、その時受けたDNAのトバッチリが残っているのせいかも知れない。

帰郷当初、角さんは遠かった。

だが仕事の関係もあり、「西山のアンニャ」田中角栄さんの選挙運動を手伝うようになり、辻説法について回るうち、この人はとんでもない人なのかも知れないと感じ始めた。
「日本列島改造論」は俺達を夢中にさせた。

当時「明日の鯖石を創る会」で南鯖石と中鯖石の未来を語りあった。
「何とかしなくちゃならない」、バスを仕立てて目白に伺った。

朝から角栄節が炸裂し、俺達は完全にイカレてしまった。
話が終わって先生が「鯖石で俺に出来ることはないか」「先生のゲタを下さい!」「ゲタをくれってのは初めてだ。おい、遠藤君、庭のゲタをやってくれ!」

鯖石の未来に「ゲタ」を預けられた我々は悩んだ。
あの「ゲタ」は写真付きで東山事務所にあったが真紀子さんが西山に持っていったという。なんて人だ ! ゲタを返せ!

ただ、熱気だけはあった。その熱気に「呑んだ勢い」で火が噴き出し、何人かの市会議員と若い県会議員を生み出し、小千谷の市長を国会に送り出す一つの力にもなったと思う。

だが、同時に政治の限界も見えてしまった。
政治家の力を借りても、所詮根本的な解決にはならない。
「ルサンチマン」というのか、行動を伴わない内に秘めた嫉妬みたいな戯言は何の解決も生み出さない

大切なのは自分達の独自の目的と生き方だ。

石原慎太郎は角さんを「天才」と書いている。
角さんは天才じゃない。
角さんは恐ろしい程の憤怒と努力の人で、角さんの裏の顔に「おにょろいさん」を見たことがあるか?
「越山」に込められた怨念を湘南のボンボンに解って堪るか。バカヤロー !

「我が勲し(いさおし)は民の平安!」

浅田次郎が満州馬賊の頭目張作霖に叫ばせた馬上の雄叫びが角さんに重なる。
角さんの目指したのは日本の真の独立であり、地方経済の自立であり、日本人のプライドの復活ではなかったのか。

アメリカには危険な人物と映り、夢半ばで倒された。

「民の平安」を祈って決断し行動する政治家は短命だ。

何も決断しなく行動しない政治家は長生きする。

トランプにヘラヘラしている長州野郎に何が出来る。

柏﨑日報 5月31日掲載分

umicafe DONA

2019.05.29 風の戯言

久し振りに、彼女の店に寄ってみた。
お父さんもお母さんも元気そう。

近いうちに花持ってお見舞いに行ってこよう。

ここから日本海と妙高連山が見える。
若かった頃のホームグランド。

やすらぎの郷

2019.05.21 風の戯言

「令和」への改元、10連休という今年のゴールデン・ウィーク、正直言えば経済人とすれば不安なスタートだったが、5月の風のように爽やかに休日は過ぎていった。
八石山は柔らかな緑を増やし、連休が終わる頃には若葉に覆われていた。
家々には春の花が咲き、涅槃仏のお姿と言われる八石山は「赤子に添い寝している母」の姿にも見える。
黒姫山にはブナ林が似合い、鯖石川はゆったりと流れている。
鯖石は「やすらぎの郷」なのだ。
 
「昭和」から「平成」へ、そして「令和」へ

「令和」とは「うるわしき大和」との意だと発案者の中西進さんは言い、元号を大切にするのは日本の文化であり、「おしゃれ心」だという。
だが現代史は少し違うような気がする。
昭和天皇は軍とマスコミと国民とによる暴走を許し、最後は本土決戦・1億総玉砕を叫ぶ軍を抑え、玉音放送で「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」無条件降伏という屈辱の中で民の平安を決断された。
敗戦により天皇は「現人神」から「人間」になり、民衆は焼夷弾と原爆で焼け野原になった故郷を、哀しみを乗り越え奇跡のように復興させた。

平和の礎を自らの力で築き上げたのだと思う。

平成天皇は「象徴」の任務という激しい勤めを終えられた。
被災地で膝を折り多くの人を見舞われたけど、両陛下は幾つかの大東亜戦争の激戦地にも慰霊に訪れられている。
パラオの海は魂まで奪われそうに美しい。
何も知らないままにペリリュー島を訪ねたことがある。

この南の島は1万余の日本兵の「玉砕」の島であり、平成天皇がこの島にまで慰霊に訪れられたことを知らなかった。
グラマンの機銃掃射、B-17による爆撃、艦砲射撃、情け容赦ない火炎放射器で、身動きできない南の島の洞窟の中で日本兵は餓えて死んだという。

赤紙一枚で招集された若者達が、なんの為にこの島で死ななければならなかったのか。

小田実の「玉砕」が悲しい。ドナルド・キーン先生が英訳されていたことも初めて知った。

陛下が供花された海辺の「西太平洋戦没者の碑」に、俺は冷えたペットボトルを捧げることしか出来なかった。
その時、平和とは何であるか、少し判ったような気がした。

平和とは母親が安心して子供達を育てられる環境、それが本当の「やすらぎの郷」なのだと思う。

柏﨑日報 5月20日掲載 少し手を入れてあります。