結愛地蔵

2018.07.19 風の戯言

3月、東京都目黒区で起きた僅か5歳児の虐待死のニュースが頭から去らない。

人生はいろいろあるが、親からろくな食事も与えられず、凍り付く夜に外に出されてシモヤケになり生きた5歳の命。

結愛という女の子の、可愛い笑顔の写真とノートに書き残された「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」という幼子の叫びが心を搔き毟る。

自分の子供の頃にはそんなことは無かったはずだし、何か縁のある子でも無い。

何もすることが出来ず、ただ祈るしか無いというのも切ない話だった。

ふと思いつき、小さなお地蔵さんを手配し、近くの周広院に納めさせて貰った。

住職(東堂)は門の所にある「子安地蔵(観音)」の前を選んで、そこに安置してくれた。

俺は勝手に「結愛地蔵」と名付けている。

手を合わせるところがあるというのは、人の心を安らげる。

人工知能の未来・・・あはははっ!

2018.07.17 風の戯言

 新潟産業大学 寄付講座「人工知能の未来と経営」がようやく終わろうとしている。あと1回。

 全15回、1回90分の講座は結構しんどいものが有った。社員やカシックスの齋木さん、村山先生に分担して貰った。
 3回目はNHKディレクター阿部博史さんをお招きできフクシマの「震災ビックデータ」を主題に講義して貰った。
 13回は市内出身deBit社長山田賢さんの「ブロックチェーン」は面白かった。

 人工知能と言われて「なんのこっちゃ?」とぼやかれる人も多いかと思います。実は私もよく解らないんだて。「てめぇー、何言ってるんだ ?」と怒られそうだが、実はそうなんだ。
 強いて元土方なりに講釈すると、要は「人工頭脳」、パソコンにデータとプログラムを入れたもの。それが最近は自分勝手に学習し、自分で動き出している。

 レイ・カーツワイルの「シンギュラリティ (技術特異点)」なんて本では現在の人工知能が「指数関数的?」に変化し、要は倍々ゲームで進化して行くと2045年には人間の頭サイズのパソコンに人間の頭脳()が収まり、それが「指数関数的」に進化していく未来像はこうだ。  
 一番目は「人間はエネルギー問題から解放される」は原発立地地域とすれば大歓迎。

 二番目は「人間は食糧問題を乗り越え、生活のために働く必要が無くなる。」とは「のめしこき」には嬉しい話。

 三番目「人間は不老不死の命を得ることが出来る。」だども、人間は死ぬことが出来るから幸福なんじゃないのかなぁ。「お宅幾つ?」「今年丁度500歳かな」なんで冗談じゃないよ。そして人間はやがて地球から飛び出し、宇宙に広がっていく・・・。ノーベル賞経済学者ジョン・ナッシュが幻覚症状に陥った時のようだ。

 パチンコの出玉のように「なんのこっちゃ」を連発し、「ヘェー、???」の世界に迷い込む。

 冗談みたいな未来像だが、30年後「自動運転」の車が一般化してき、人間が運転すると法令違反で捕まるなんてジョークにもならない話もある。

 「ブロックチェーン」技術は仮想通貨の基礎技術だろうけれど、これも要は「情報」を発生から伝達をチェーンで繋ぎ改変できなくする。政府高官の「忘れちゃったのよ」や「何処にやったろ?」「書き換えちゃった !」は無くなる、だろう。アンポンタン奴。

 技術の進歩が未来を書き換えてしまう。
 銀行業務はスマホのアプリで済むナンテ話も大袈裟でなくなってきている。
 
 東京や大都会も人間にとって最悪の環境になるかも知れない。
 
 人工知能は地域に住む我々人間にとってきつと素晴らしい使い方があるのだろうと考えている。
 
 豊かな自然環境はこそ人間が本当に「幸せ」に生きられる場所なんだと信じたい。

越路吹雪

2018.07.16 風の戯言

越路吹雪のCDを聴いている。

不思議な歌声に、「あぁ、やっと自分にもこんな歌が分かる歳になったのだなぁ」と思う。
歌と言うより「こーちゃん」の、生意気言えば、こーちゃんの深さと哀しさと愛おしさなのかも知れない。

昔、越後タイムスの吉田昭一さんはこーちゃんの追っかけだった。
いい歳こいて、あの独特の語り口で彼女の魅力を、ぽつりほつりと話す。
そして、興が乗ってくると「ろくでなし」を歌う。

懐かしいなぁ・・・

新潟産業大学 寄付講座

2018.07.14 風の戯言

長生きしていると、時折変なことが起きる。
新潟産業大学 寄付講座 「人工知能の未来と経営」全15回

昨日の14回目は拙者の登板。
学生+一般聴講生約100人くらいを前に恥ずかし気もなく90分の講座を修了させてきた。
とても「無事」といえる状況ではないが外国人留学生20人が混じる教室。

多少冗談が過ぎたかも知れない。

何しろ、元土方が大学の先生の真似をしょうってのが間違いの元。

だけど、恥を掻くことを覚悟さえすれば、案外といろいろなものを得るものだね。

小さなスズメの物語

2018.07.03 風の戯言

 生来の偏屈が高齢化と共に制御不能に陥ってしまっている。

 誰も遊んでくれる仲間もなく、今はもう「引きこもり」状態。本も新聞もテレビも雑誌にも面会謝絶されている。
 出来るだけ人に会わない道を散歩、いや徘徊し風に向かってブツブツ呪文を唱えていると、こりゃ「偏屈」でなくいよいよ本物が来たかなと思ったりする。
 退屈する時間が持てない自分にとって手近な芝刈りは腰に来る。性格や知力だけでなく、「元土方様」の体力も制御不能になっている。
 やんなっちゃうね。

 そこで遊び相手に指名したのは「スズメさん達」。
 しかし、これが本当の「片思い」。少しづつ餌付けをし、振り向いてくれるのをじれったいくらい待ち続けている。
 部屋の中から、恋人を遠くから見詰めているように、身動きせず、目を細め、ズドサン(お地蔵さん。鯖石弁?) のように身動きしないで見ているけれど、目が合った途端で逃げ去る。
 片貝の野鳥の会の師匠にぼやいたら「石塚さんの顔見て逃げるのはスズメだけじゃねぇこて」ときた。なんてこった !

 第二次世界大戦中のロンドンで足と翼に障害をもった1羽のスズメと老婦人の13年にわたる物語がある。「ある小さなスズメの記録」人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクレランスの生涯と副題にある。
 野鳥は障害があり成鳥に慣れないと危惧した子供を巣から捨てる。自立して生きるための哀しさなんだろう。
 足下に落ちていた「その子」と心を通わせた物語なんだけど・・・あったかい !

 なんでこんな本を買って置いたのか「記憶」にもございませんが・・・。

 家のスズメたちは最初「デブリ」と名付けたノロイ1羽だけだったが親戚にも声を掛けたのか最近は10羽くらいになった。
 観察していると口移しで餌を貰っている。餌を与えるのは特定の親だけらしく、他のスズメの近くに寄ると突っつきかえされる。
 なんと可愛い奴らなんだろう !

 鳥や虫の脳には生きる為の知恵や愛が詰まっている。
 非力の者は外敵から身を守るために兎に角「逃げる」。なんという賢さ !

 落ちたクルミを巡ってカラスと喧嘩になったことがあるが、あんな奴も必死になってかかってこられるとチョット怖い。
 「テメェ、俺様のことを知らんのか」と啖呵を切ったら逃げていった。「バカな人間を相手にはしてられねぇ」と捨て台詞を吐いたように聞こえた。

 腹の黒いカラスは嫌いだ。