76歳
よくもまぁ、我が儘ばかり言って、我を張って、人との協調世は微塵もなく、この歳まで生きてこれたもんだと我ながら呆れる。
人間社会で生き続けるためには「和」が必要で、そのためには他人の話を聞いた振りをしながら、その人が遠退いたら「くそったれ!」は吐き下すのが一番いい。
しかし、『君子』はそんな素振りを見せられないから腹に貯めて『ストレス』とする。
どのみち他所様には迷惑な人間だ。
「一期は夢ぞ、ただ狂え ! 」
そして明日は我も76歳。
いい加減にせい !
せご(西郷)どん
お天気に誘われて「夢の森」の裏山を歩いてきた。
お昼時間が遅くなって、パンを囓っていたらウサギが出てきた。
本当はクマでも出ないかと楽しみにしていたのだが、ウサギの後から友人の尾崎が歩いてきた。
クマが出たよりビックリする。
近くに住んでいて、殆ど会うこともなくなっていたからだ。
「せご(西郷)どん」を夢中になってみている。
原作や演出もあるけど、主役の鈴木某が面白い。
明治維新という歴史の大転機に薩摩から現れ、西南戦争で消えて行く。
死後、許され上野の山に返り咲く。
劇的な理想的な生涯だけに、困難な社会になると「西郷待望論」が吹き出し、中身のない人間達が我も我もとが西郷どんを気取り、社会を崩壊させて行く。
司馬遼太郎は「飛ぶが如く」で、昭和史の中で訴えたかったことは、その『西郷幻想』だという。
国家利益を考えず、役者のように「西郷隆盛」を演じただけの軍人達。
どう考えても勝ち目のない対米戦争に突き進んでしまった戦争責任者達。
彼等はどんな「算盤」をはじいていたのか?
一部の武器商人と武器製造者達とその従業員。
その人達が一時潤うだけで、戦争にかり出され、戦場になった人達の悲惨さはもっと記憶に残り続けていい。
まして『宗教』という幻想の中で、幸福を踏みつぶして行く人達の心が分からない。
金正恩よ、貴殿が求めている未来の理想像を俺は聞いてみたい。
金正恩の戦略
北朝鮮とアメリカの、というより北朝鮮を巡るそれぞれの国家戦略が姿を現してきた。
表面的な駆け引きだけでは分かり得ない『本音』-それぞれの国益を追求した国家戦略の柱。
口汚く罵られた『言葉』だけでは未来は見えない。
北朝鮮の求める国益-為政者と国民が求める幸福とは何か?
王朝の継続発展だけ?
外交と戦争が一体のものであり、自ら属する国家の利益の最大限の獲得を目的としていることも自明のこと。
「武器」は恫喝の道具で有り、最終的に殺人の道具で有り、核兵器は非戦闘員の殺戮を目的としている
世界は戦争の不毛を知り尽くしているのに、何故また戦争の火種に息を吹きかけるのか ?
北朝鮮が、金正恩が最大限に参考にしているのは「1941年の日本の選択」。
『1941の日本の選択』にいたる間違い、その結果としての『不毛』
彼は戦争による廃墟のむなしさ、日本の『失敗の本質』を知っているのではないかと思う。
彼は単なる情緒不安定な国家リーダーなのか?
トランプは単なる強靱なのか ?
キリスト教福音派、プーワホワイト彼等の指示だけで選挙戦は勝てる。
だが何を目指しているのか・・・このままだとヒットラーになる。
日本は何を目指しているのか?
日本が目指している幸福とは何か?
どんな国家戦略をもっているのか?
嘘を振り回している内に、自分達が何を求め、何を考えているのか分からなくなっている。
人間は知的生物か ?
サラ・オレインの番組を見ていて驚いた。
シドニー生まれの31歳
ボーカリストで、ヴァイオリンニスト、作曲家、作詞家、翻訳家、コピーライター、そしてまた何という美人。
スズメとカナリア
天候の変化に体調がついて行けなく、身体が死後硬直を起こしたようで四苦八苦している。
睡眠が足りないのだろうと睡眠誘導材を増量すると、朝には脳の腐臭が漂う。
今日は会社をズル休み。
無理矢理アポをお願いしていた人達に申し訳が立たない状況。
いや、参ったね。
師曰く「遊んでいろよな、スズメでさえも生きるためには苦労する」
窓先に『古米』と『麻の実」を撒いておくとスズメたちが寄ってくる。
見ていると、口移しに『麻の実』を与えているスズメもいる。
孵ったばかりの雛と親子なのか・・・見ていて嬉しい光景。
しかし、スズメはなかなか慣れてくれない。こちらが思うほど信頼してくれないのかな?
野生だもんね、『自立自尊』
スズメに餌をやりながら、ふと遠い昔のことを思い出した。
雪に振り込められ、カナリアの餌を買いに行けず、餓死しさせてしまった。
巣箱の底に横たわったカナリアの姿を思い出している。。
ゴメンな・・・
霊
先日の姉の納骨式の夜、庭の椅子で空を眺めていると不思議な光景が目に入った。
星空に、明らかに星と違う、飛行機でもない瞬間的な丸い光が見えた。
おやっと思って見ていると同じような光が右方向に見え、続いて北方向の頭上に見えた。
不思議な思いの中で「姉が来てくれたな」と思い当たった。
義兄が53歳で亡くなったとき、別れ難く、少し分骨して貰った。
その夜、部屋の本棚で小さな骨壺がカタカタと音を立てていた。
あの時も「兄貴、来てくれたな」と凄く嬉しかったのを覚えている。
もう43年も昔のことになる。
俺は『人はゴミ』と思っているので基本的に死後の世界は信じない。
しかし、人骨の化石にまで DNA が判明する時代になった。
DNA は人類の履歴書・・・
現代流にいえば「ブロックチェーン」といえるのかも知れない。
霊が存在したとしても不思議はないのだろう。