花祭り
今日は花祭り、お釈迦様の誕生日。
そして昨日は我が家の生き仏様の誕生日。
いやー、目出度い目出度い!
先日、来客と宗教談義になった。
同じ仏教でも幅が広すぎて定義しにくい。
禅宗から真言宗まで、正直自分にはよく判らない。
いわゆる「葬式仏教」、寺院は何であんなに「金ピカ」にならなければならないのか?
生きていることが地獄で有り、死ねば浄土に迎えられ、安寧な世界で過ごされる。
それは多くの人達に、生きる力を与え続けたのだろう。
ただ、俺には「ありがたいお経」の意味が判らない。
テーラワーダ仏教界のスマナサーラ師の本は分かりやすい。
「文句人生」
自分が不幸であるのは全て他の性だだという「文句タラタラ」本当の人生ではない、という。
全ては自分を成長させるありがたい試練、なのだと。
渡邊和子の
「置かれた場所で咲きなさい」と同じ根っ子に繋がる。
庭に雀が遊びに来てくれて、嬉しいから台所から米を盗んで鳥たちにやっている。
部屋からそっと見ていると、目が合った瞬間に逃げ去ってしまう。
俺はもう雀は食わないのだよ。
昔食ったけど・・・
小さき者たちへ
雪融けを待ちわびていたように、庭木の下からクロッカスが顔を出している。
彼女達は春陽に花を開き、夕方になると花を閉じる。
小さな命が、自分の命を謳歌しているようだ。
雪が融けて、鯖石川の堤防を散歩出来るようになった。
夕日に染まった西の空を見ながら、デッカイ屁をぶっ放す。
カモ達が鉄砲と間違えて慌てて逃げ去って行く。
何と豊かな環境なんだろう !
誰も「臭い!」と悶絶してないし・・・カモが逃げるときに鼻をつまんでいただけだ。
カモはバカだから逃げるときは一緒の方に飛んでいく。
「カモにする」とはここから来たのか?
鳥たちはチリジリバラバラに逃げ去ってもまた何時ものヨタモノグループで集まる。
あんな小さな頭の中にどんな通信機能が備わっているのか、不思議に思う。
虫たちも仲間同志集まってバカ喋りしている。
花たちが集団で咲くのは外敵から身を守るためだという。
一つやられても、誰かが生き残る。
それが花たちの命を繋いでいるのだと・・・。
鳥たちも、虫たちも、そして花たちもお喋りに興じているのかも知れない。
「人間ってバカだよね」
「そだねぇー」なんて・・・