民は食をもって天となす
エコノミスト2/20 56ページにそんな言葉が載っていた。
「民以食為天」
司馬遼太郎に「リーダーの資格は部下を食べさせられるか否か」というような言葉があった。
食べられることが取りあえず幸せであり、飢餓は皇帝を取っ替える天の声になる。
高部知子の読書日記に新渡戸稲造の「武士道」があり
「礼儀とは何か」
「正しいことをするとはどういうことか」
「いさぎよさとは心の豊かさ」
「ムダを省くと仕事は優雅になる」
「批判するより行動するのが武士の職分」
取りあえずそんな言葉が載っていた。
「武士とは死ぬこととみつけたり」これは葉隠の言葉らしい。
平昌オリンピック
平昌オリンピックの開会式を見ていても心は弾まなかった。
韓国が好きになれないのは文化の違いから来る違和感だろうから仕方がない。
かの国も地政学的に半島国家の宿命で、隣の顔色を窺わなければ国家の平安はない。
国民も自尊心と現状認識の間で揺れ動き、島国みたいにノホホンとはしていられないのだろう。
違和感の背後に南と北の野望がチラチラし、俺を落ち着かなくするのだろう。
ただ、拉致の国に正義はあるのか、粛清と暗殺の国に民族の心を鷲づかみにする戦略はあるのか・・・無理は悲劇を生む。
大国の戦略がぶつかり合い、民族は引き裂かれ、統一国家を目指すには武力しかない。
北朝鮮には南を釜山まで追い詰めた記憶が消えないのだろう。
北には餓死寸前の人達が多いと聞く。
オリンピックが終わり、南北融和の幻想が広がった時、「いざ、温かく豊かな南へ !」の号令が響いたときどうなるか ?
南の大統領にも戦略があるのだろうが、危うい『有頂天』に居るような気がしてならない。
隣の民族の問題だけれど、急速な変化は日本の国益-平和にとって大きな難題になるのだろう。
冬の世に、天から落ちてくるものは、雪に噴石、ヘリコプター
何かが始まろうとしている。