無担保無保証
子供の頃、納屋の通路の梁に縄をかけたことがある。
何で自らの命を縮めようとしたのか、今では判らない。
25歳で家に戻った時も、常に思い詰めていた。
45歳で独立し、事業が失敗し人様に迷惑をかけたら自決しようと考えていた。白装束と短刀は常に手元に置いていた。
他人から見ればどうかしていると思えるだろう。
銀行からの借入金の経営者としての債務保証は、結構ストレスになる。
創業30年、小さな一流企業を目指している。
次世代の後継者達にその重圧を掛けたくなくて、銀行団との無担保無保証の交渉を続けてきたけれど、どうやら念願は叶った。
75歳にして、冥途が近くなって、自裁を考えなくても良くなった。馬鹿臭い話だけれど、俺の頭は初めて自由になったような気がする。痴呆症が悪化したのかな?
俺は現役現場マン!
一見、平和そうな世界で「分断」が深まっているようだ。
貧困に身を沈めているものにとって、富裕層は憎しみの対象になる。「食うこと」だけが「喫緊の課題」であり、夢や自由は別世界の話でしかない。
若い頃、当然のように自分の生き方に藻掻き、少し明かりが見え来た頃、俺は自分で辿り着いた哲学に、些かの自信を持ち、「流石、石塚」と自惚れていた。
通っていた大学の学長から「助手になれ」との誘いもあり、有頂天になっていたのだろう。
中学生の頃、教頭が「この男は鯖石郷で20年に一人」と担当の先生に言っていたという話も思い出して得意になっていた。
だが、金が無くなって1週間まともな食事が出来なかった。
アパートも米もあり、貧困と言うには申し訳ないのだが、だけど、たかがそんな状況で、俺は食うことだけを考えている自分に愕然とした。
人間、悟っていたようなこと言っていても大したことないな?
自惚れていた自分が情けなくなり、笑ってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは「兄貴」であった。
「帰ってこないか?」
情けなくて涙が出たが、俺は家に帰った。
「5年で一人前になれなかったら、自決する」
背後を絶つと、人は生きられる。
以来20年、俺は建設現場で天職を見つけた。
だけど、今の仕事も更に俺の天職。
この歳になっても面白くてしょうが無い。
命の尽きるまでやってみるか !