靖国神社 参拝
15日、所用があり久し振りに上京した。
相棒が「靖国神社、行ったことがない」との揺さぶりで、参拝してきた。
「御霊祭り」で参道の両脇には無数の提灯が飾られていた。
あの提灯の壁の中に友人のものも有るという。
隣で参拝していた人が、殆ど頭を垂れたまま何事かを祈り続けていた。人の誠が伝わってくるようで、感動してしまった。
友人の話では、本殿の左奥に池があり、田中角栄が日中国交の成立を記念し、奉納した鯉が泳いでいるとか。
中国もあまり急ぎすぎないで、日本のそんな心を思い返してくれるといいのだが・・・礼節の文化の国の筈なんだが・・・文化革命で「心」がぶっ飛んでしまったのかな?
世界は大きな曲がり角に来ている。
この小さな幸せの惑星に、人類が増えすぎて、全てがそうなのだろうが、バランスを崩し、環境破壊が進み、やがて「害人」が適正規模まで淘汰され、地球は遙かな時間を生き続けるのだろう。
最近、まだ虫は少ないのだが、蛙が戻り始めた。やがて蛇も帰ってくるだろう。前の公園にはタヌキも出没している。昔の遊び仲間か・・・嬉しいね。
梅雨の夜空
さっきまで稲妻が光っていたけれど、止んだらしい。
静かなジャズを聴きながら、暗い梅雨の夜空を眺めている。
時折、しぶきを上げながら通り過ぎる車の音がする。
その一瞬の後に、また静寂が戻ってくる。
今夜は、このCDが心の奥底に染みこんでくる。
人の命には限りがある、そんなこと判りすぎているのだが・・・。
天皇の生前退位のニュースが心を揺さぶる。
世界中に、こんなに真摯に平和を祈る君主がいただろうか?
災害で打ちひしがれた人々に、膝を折り、同じ哀しみを感じようと必死になって慰問した君主が世界のどこにいただろうか。
ベリリュー島に慰霊の花束を捧げられたその場所に、俺は1本の冷たいペットボトルを手向ける事が出来た。天皇の哀しみの一端を共に出来たことを、俺は限りない誇りに思う。
哀しみはそれだけではないのだが・・・。
静かな夜に、深い世界に沈んでいるのもいい。
唯酒論よ、遙かなれ !
動物で酒を飲むのは人間だけだ。従って、酒を飲まない人は人間ではない、そんな暴論を吐いていたら体調を崩して酒が飲めない年が続いていた。最近やっと復調し、「嗜む程度」に回復している。幸いなるかな、である。
人間に戻って、我が唯酒論の聖典たる「酒乱性人生論」を久し振りに思い出した。「人生如何に生くべきか」では答えが出ない。「問い」が間違っているからだ。その誤った問いで多くの人達がのたうち回ったことか。
「美味い酒を飲むためにはどう生きたら良いか」問いをアクションレベルまで噛み砕けば答えは自ずから出てくる。1に酒が買える金が必要だ。2に時を忘れて飲める友達も必要だろう。3に「ゴド」と罵られようと、尽きない話題も必要だ。
学生達の仲間が「柏崎熱気球会館」でカニに食らいつき、大酒飲みながら「偶には良いことを言う」と褒めていた。調子に乗って「いいか、折角大学生になったんだ、青春を、大学を4年で卒業するなんて馬鹿なことはやめろ!」「俺は5回生です! 」「よし!」 些か酔って候。
あれから50年近くになる。。目玉デングリ返し、もう一度t彼らと夢を語ってみたい。