武蔵野丘陵森林公園

2015.01.10 風の戯言


 武蔵野丘陵森林公園を訪ねてきた。

 一度訪れてみたい場所の一つで、夢が叶った。

 関東は青空で、全くの別世界 !
 藪の中の小道を歩いていると、風が冬の梢を揺らしていく。
 林の、風の音を久し振りに聞いた感じがする。

 昔、そう、もう随分と前になる。
 黒姫山の山頂近く、池ノ平の桑園跡地で、風が追いかけっこをしながら仲間と遊んでいる声を聴いたことがある。

 風達に、命があることを初めて知った。

 公園入り口の、チョット前まで若かった案内の女性達に「梅が咲き始めた」と聞いて、山道を登ってみた。
 昨日咲いたばかりのような梅の花を見ながら、山道を歩くのは、いいものだ。

 土方だっ頃、枯れ草を踏む音が聞きたくって狂い出しそうなことがあった。

 学生だった頃、横浜の金沢八景の近くの冬の裏山は絶好な散歩道だった。2月に、裸で草むらを走ったことを今も忘れられないでいる。

アジアの片隅で−品田正伸−遺稿集

2015.01.07 風の戯言


 賀詞交換会で会った市の財務部長猪俣さんから、亡くなった品田柏崎日報記者の遺稿集の話を聞いた。

 品田さんとはそんなに交流はなかった。

 ただ、彼の持つ不思議な魅力は早くから気がついていた。
 サウジアラビアに留学しモロッコで働いていたと話していた。
 底知れぬ知識の広さと深さは、少しの会話で垣間見えた。

 猪俣さんが届けてくれた柏崎日報の、所謂天声人語の欄のような「柏崎抄」に書いていた抜粋、発行は平成27年1月1日、その彼の遺稿集を読み始めている。

 柏崎は、大切な人を失ったのだなぁ、つくづくと思う。

 

明日から新年始動 !

2015.01.04 風の戯言


 加納神社の2年参りの時、氏子の親分が「健康第一」と話していた。
 彼も80歳を過ぎたのだろうけれど、改めて「健康」に思い至った。
 文字としての「健康第一」は理解しているつもりだけれど、改めてそのことの大切さにビックリした。

 無茶をすると、2,3日後にしっぺ返しが来る。
 年齢を忘れていた。

 年末年始は「雪印」で、星を見ることは出来ないでいる。

 テレビで宇宙の番組を見ていてフッと思った。
 人は星と同じではないかと・・・。

 人は星と同じで、広大な宇宙空間に散らばっている孤独な存在なのかも知れない、と・・・。

 宗教はそんなことから出発しているのかも知れない。

 梅原猛の ” 親鸞「四つの謎」を解く” を机の上に飾り、酒が飲みたいのを我慢している。

 明日から新年始動 !

謹賀新年 

2015.01.03 風の戯言


 2人の家族が8人になって、賑やかな寝正月になった。

 元日は神社とお寺の2年参り、午後からは集落の新年会、兄貴の家への新年挨拶。
 2日は寝正月。
 3日は子供達もそれぞれの家に帰り、元の老夫婦の侘び住まいに戻った。

 暮れの休みに入ったときは精神的バランスを崩し、関東の青空が見たくなって山を越え群馬へ。
 雪のない風景に魅せられて、藤岡から長野自動車道路を走って米山インターで降りたら高速料金は340円。
 
 3回目の実験成功 !

 得意になって、でも考えてみたら、暇人が何を馬鹿なことをやっているのか、と落ち込んでしまった。精神的治療失敗。

 昨日久し振りに炎加世子を思い出した。
 もう、4,50年前の話だけれど、彼女はこう言った。
 「人生なんて、死ぬまでの暇つぶし・・・」

 それまで自分では「ニヒリスト」を気取っていたけれど、この言葉に打ちのめされた。ポジティブ・ニヒリズムも台無しだ。

 過去は、悔悟の荒海。
 未来は、怒濤渦巻く不安の海。

 生きている間は、余計なことを考えずにトコトン頑張るより他ないんだろうな、と最近思い始めている。

 窓の外は雪。

 やっぱり関東の青空と、青い海が恋しい。

沢木耕太郎

2014.12.23 風の戯言


 「波の音が消えるまで」
 
 沢木耕太郎の新刊に沈んでいる。

 文春新年号「高倉健 最後の手記」に寄せられた「深い海の底に-高倉さんの死」という寄稿を読んで、久し振りに沢木を読みたくなった。

 小説の舞台となっているマカオも懐かしいけれど、物語のスタートが返還前日の香港、あの歴史的な事件の前後6日間を、自分の体験ではないような記憶が蘇る。
 ペニュンシュラの一室で、チャールズが式典会場を離れる目撃していたのだけれど・・・。

 カウントダウンの一瞬を、期待を込めて群衆に交じっていたのだけれど、静かに時は流れて行ってしまったのを思い出す。

 今日は雨っぽい雪。

 空は少し明るくなってきたのかな。

 古い昔のことを、同時に思い出している。

 北条の深沢から広田に向けて、船岡山を崩して道を作る工事。山の下に染み出す湧き水を集めるために「蛇籠」に詰める玉石を、背中の籠に入れて雪道を運んでいた。来る日も来る日も、2ケ月くらい雪空が続き、俺は何をやってんだろうと、本当に暗い気持ちに落ち込んだ時期があった。

 あれから50年近くが経つ。

 窓に、陽が差してきた。