春を呼ぶ「風船一揆」

2014.03.03 風の戯言


 小千谷に春を呼ぶ「風船一揆」が開かれた。

 昨年は悪天候で飛ぶことが出来なかったけれど、今年は穏やかな曇り空の下、風が全くないので、外に飛び去ることが出来ず、山本山の麓の西谷会場の上空で遊べたという。

 もう38回になるのか !

 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。

 今年も車の中から走りながらの観戦だった。
 
 写真は「越後風船共和国」代表 金子修一さん 撮影

春霞 ?

2014.02.26 風の戯言


 今日は朝から暖かく、山には春霞がかかっていた。

 2月の末とも思えない長閑な風景に感動し、会社を目指した。八石山は写真のように霞んでいたが、米山は姿も見えない。

 何とはなしにPM2.5の測定器が欲しくなり、社員に調べておくように指示。

 ビックリしたのはお昼のニュース。

 新潟県のPM2.5の測定値が100を超えているところもあった。基準が70なので相当オーバーしていることになる。

 春霞、どころではない。

 中国は一丁前のこと言っている場合じゃないぞ。

富士山 !

2014.02.23 風の戯言


 雪空の下で暮らしていると、時折矢も楯もたまらず関東の枯れ野を歩きたくなる。

 富士山を見ながら、林の中を歩けたら・・・そんな想いが病のように拡がり富士宮に行ってきた。
 長岡を12時半に出たら、富士市には15時半に着いた。何と、3時間でしかない。

 残念ながら富士宮のビジネスホテルからは雲がかかっていて富士は裾野しか見えない。陽が西に傾き、夕暮れが近づいたとき、雲間に富士の山頂がちょっとだけ顔を出した。

 「おう、来たか・・・」

 富士山が、疲れたかすれ声で呟いたのが聞こえたようだった。

 翌日も朝から雲がかかり、富士は見えず仕舞い。

 身延線で富士市に戻り、東海道線で清水に立ち寄り、青春の傷跡が残る三保の松原と日本平を駆け足で回った。

 新幹線の窓から、温かそうな日を浴び、庭先にミカンの木がある農家が魅力的に輝いていた。

 写真は日本平近くの梅林にて。

70歳死亡法案可決 !

2014.02.20 風の戯言


 2020年2月21日、衆議院特別委員会は「70歳死亡法案」を賛成多数で可決した。これにより日本国籍を有するものは誰しも70歳の誕生日から30日以内に死ななければならなくなった。政府は安楽死の方法を数種類用意する方針で、対象者がその中から自由に選ばれるように配慮するという・・・・と、そんなギクリとする小説が発売されている。著者は垣谷美雨。2012年2月。幻冬舎。 
 
 財政破綻寸前の日本政府は、高齢化により70歳以上が30%を超え、国家財政の行き詰まりを解消するために「死亡法案」を強行採決した。法案は2年後から施行され、初年度の死亡予定者数は既に70歳を超えている者も含めるために約2200万人に達し、次年度以降も毎年150万人前後で推移するという。
 いつかこんな議論が始まるだろうと予測していたが、やはり出たか、という感じの本だ。本の帯に、「日本のために死んで下さい」、「2年後、やっとお義母さんが死んでくれる」とある。本音が出過ぎていて、怖い。

 古来、不老長寿は最高の願いであった。しかし現代、「長寿」は本当に幸福なのか? 人間が必死になって求めてきたものに、今は疑念を超え、絶望すら感じ始めている。

 3.11東日本大震災が与えたものは「人は努力すれば幸せを掴むことが出来る」という神話の崩壊だろう。大災害や戦争で日常を奪われ、絶望の淵に追い詰められたことは何度かあったが、人は未来を信じ不死鳥のようにまた立ち上がり、以前よりも大きな幸福を掴んできた。だが3.11以降、その価値観が根底から揺らいでいる。

 日本の高齢者は3000万人を超えたと言われ、世界の人口も70億を超え、2050年には90億人が予測され、人間から食料と夢を奪おうとしている。

 人間は「老衰による自然死」こそ人間の理想と考えてきたけれど、現実は多くの人はベッドで横たわる「植物人間」で最後を迎えることが多くなった。

 長寿が「幸せ」だと信じるから医者は自らの使命に心血を注ぎ、親族は介護に多くのエネルギーを割いてきたのだけれど、しかし、今それは「みんなにとって幸せ」なのか。
 
 人生とは何か? 
 新たな問い掛けが始まっている。生きる意味は何処にあるのか。人は皆その問いに自分の答えを見つけ出さなければならない。

 「人生は無」だろうけれど、絶望の先に微かな未来があった。

 人間の最終死亡率は100%、何時か必ず死ぬのだから「生きている、今」を大切にしなさい。結局それしかないのだろうけれど、今は虚しさすら漂わせはじめている。

 願っていた「長寿」が実現し、心の密度は薄くなってしまった。「姥捨て山」ではない、与えられた生命を全うできる「何か」が必要なのだ。

 かく言う俺も、もう70歳を過ぎてしまった。 

海の柏崎、海水発電は夢か ?

2014.02.19 風の戯言


 3.11東日本大震災から3年になろうとしている。

 震災3ヶ月後の現地は凄まじく、地震と津波に壊滅させられたあの光景を忘れることは出来そうにもない。様々な人生と歴史を育んだだろう街も集落も消滅していた。田畑に草が生え、残った人家にも人影はなかった。
 特に、福島原子力発電所から20km地点に設けられた南相馬の検問所には大きなショックを受けた。柏崎刈羽原子力発電所の軒下に棲む者として、単純な話ではない。
 
 「チェリノブイリ ⇒ スリーマイル ⇒ カシワザキ」との暴言を吐き、大顰蹙を買っていた時もあったが、「フクシマ」で現実のものになってしまった。
 柏崎刈羽原発も中越、中越沖地震と続く震災で大きな被害受けたけれど、「大事」には至らず、「安全神話」は生き続けていた。「経済的恩恵」の中で、考える事を「麻痺」させていたのかも知れない。
 
 「フクシマ」の後、「想定外」という言葉から現実に引き戻された。100%の安全はあり得ないことなのだ。そう言えば、あの地震の後の「補修」は大丈夫なのだろうか。

 火力発電所の原油輸入による負荷は日本経済を大きく変えている。安倍政権の下で「原発再稼働」が現実味をおびてきている。本音を言えば、「フクシマ」の現場を見た身には柏崎刈羽原発は再稼働して欲しくはない。しかし、「廃炉」は正しいのか?

 原発に賛同し、建設に参加した者として荒浜のあの広大な原発敷地が廃墟になるは見たくない。「廃炉」と「再稼働」の間に何かないのか。原発を「再稼働」させてもやがて耐用年数が過ぎ「廃炉」の季節が来る。ならば「再稼働」の先に「新しい発電所」を再構築出来ないか。

 もし可能ならば、地元の経済人の1人として、次の安全な発電が出来るまである期間は耐えよう。ただ、いつ来るか判らない災害におびえ続けることになるのだが・・・。

 柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考えることがある。
 この土地で生きていくために、豊かな経済が必要だ。柏崎の既存の産業を成長させ、更にこの土地でしか出来ない自主自立の産業を育て、雇用を生みだし、老若男女の笑い声が響き合う「柏崎・刈羽」をもう一度再現できないのだろうか。みんなが目を輝かせて夢を語り合う「柏崎・刈羽」をもう一度取り返せないのだろうか、と。
 
 柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考える。
 核燃料の代わりに、目の前に拡がる「海のエネルギー」を使えないものかと。海水から水素を取り出し、燃焼させれば、また水に戻る。「万能細胞」の例もある。不可能を可能に出来る時代が目の前に来ている。そして、海は世界に拡がっている。
 
 柏崎は石油、原子力と続くエネルギーの町である。「海」を次世代の新しいエネルギー源として活用する世界的な研究・実験・実現都市・柏崎の再生が出来ないのか。

 人は夢があれば生きて行ける。それと・・・お金と・・・。