春はまだか?

2011.03.28 風の戯言


 風呂の窓から星を見る。
 もう春なのに、家の周りには雪が残り、「冬の星座」を見ているようだ。暖房もない避難所で、この星空を見ている人たちもいるのだと思うと申し訳ないような気持ちになる。

 この地震と津波によるキズは大きすぎる。

 玄関前の庭に、雪解けを待ちかねるように水仙の芽が顔を出していた。もう4月も間近いのに・・・。
 

春はまだ遠いのか・・・

2011.03.21 風の戯言


 地震に身も心も押し潰され、会社とじょんのび村に逃げた。逃げて、済まされる事態ではないのだが・・・。

 感情の制御が出来なくなり、越後タイムス吉田前主幹が亡くなられた電話を貰い、その場で声が出なくなってしまった。24日葬式の日は秩父に武藤さんを尋ねる予定だったがまたの機会に伸ばしてもらう事にした。
 越後タイムス4000号記念のとき、祝いの随筆を載せて頂いた。柏崎の文化人として特別な人で、多くは酒の間の話題の中でいろいろな事を教えて頂いた。師と呼ぶには弟子の出来が悪すぎるけれど、尊敬する最高の人だった。
 時代が移っていくのを実感している。

 春のお彼岸は、かつては「風船一揆」で夢中になっていた時期。長い冬が終わって、雪国にやっと春が来る。そんなイメージを爆発させる雪上の春祭りだった。空に無数の熱気球が舞い、雪原ではグループが持ち寄った思い思いのイベントに笑い声が弾けていた。

 年度変りも間近な、多忙な季節が始る。

 多くの事を胸の奥に仕舞い、明日からは楽しく、真剣な仕事に戻る。

お彼岸  春の夕陽

2011.03.20 風の戯言


 テレビに映し出される地震と津波の映像に気が滅入る。
 何をどう受け止めて、どう対応したらいいのか、わからない。只、呆然としているだけ。
 大自然の前で、自分が信じ、生きる方向性について尤もらしいことを語ってきたのが嫌になる。

 春の夕陽を見ながら、落ち込んでいる暇があったら何か行動を起こさなくてはならないのだろうと考えている。判っていて、今は何も出来ない。

東北地方太平洋沖地震

2011.03.13 風の戯言


 巨大な東北地方太平洋沖地震に見舞われ、出張組の安全な帰宅だけを祈り続けていた。仙台に2人、東京が2人、佐渡は3人、金沢が1人。
 金沢は20;15に帰社、佐渡組が津波対策で新潟港に入れず沖合い待機、それでも越後線が動いていた為24;00には無事帰社。お疲れ様。
 仙台組は新幹線を下ろされ避難所に。東京組は公園野宿を覚悟したけど深川の避難所に辿り着き安堵。
 12日、東京組は新幹線で名古屋へ、名古屋から長野経由、16時15分帰社。
 仙台組は幸いにタクシーに巡り会い福島へ脱出。救出に向ったチームに合流でき、18時30分無事帰社。
 歴史的な大地震に出張先で遭遇し、兎に角無事に家族の元に戻る事が出来、ホッとしている。

 情報産業に携わりながら、電話も携帯も使えない状況は疲れるものだ。社員全員は無事だったが、状況が確認できていない顧客の数はまだ多い。
 少しづつ通信が回復してきたら、顧客と連絡を取り、なにか出来る事をしたい。
 単にそれは中越沖地震の御礼お返しではなく、同じく難に合った人たちに少しでも頑張る勇気の種になってくれればいい。

 夢に描いた生活設計も、職場も、町の仲間も皆消えてしまった時、俺ならどんな生き方が出来るだろう?

 社員が皆無事に戻れた嬉しさと、被災地の、人生を突然閉された人たちの人生の軌跡を考えると、また自閉症のような精神状態になってくる。希望や努力を閉そうとする奴がいたら生かしちゃ置かないが、相手が自然災害になると、只無力の世界に堕ち込んでしまう。

 書斎の窓を開けて、月が西の山に沈み<まだ雪の残る青白い中天に、凍った星達がか煌いている。  誰から信頼されるわけでもなく、誰一人勇気付ける事が出来るわけでもなく、時間を浪費しているだけの自分に嫌気が差している。  旅に出たい。

はやぶさ 川口淳一郎

2011.03.05 風の戯言


 「はやぶさ」が帰還したときに、あの大感動の中で妙に落ち着いていた人がいた。プロジェクトマネージャーの川口淳一郎さんだが、チーム運営のリーダーの「人間性」に強い興味を感じた。
 チームの一員、久保田孝さんの講演を聞かせて貰い、高度な使命感を持った組織の素晴らしさを知った。みんな自分達の「仕事」を理解し、熱中しているのだ。しかし、簡単な事ではなかったのだろう。

 東京駅の書店で求めた何冊が本のなかに「はやぶさ式思考法」がある。久し振りに訪れた「休日」、何気なしに手にとってみた。残念ながら、まだ本を読める体力と精神力に欠けたままなのだが・・・。帯の「”失敗”をカウントするな !! “成功”をカウントする加点法こそ閉塞を打ち破る」を暫らく眺めながら、現在尤もらしく叫ばれている「管理」の未来を思い知ったような気持ちになった。
 信頼の為に、約束を実現する為の管理は当然だが、経営者として未来を生きる為には予測管理を、PDCAに大胆に挑む事が大切なようだ。計画した未来に、如何にして近づけるか?
 過去だけを後生大事にしていては、未知に挑戦する力が失われてくる。
 未来とは知恵と意思の力に対する神の恵みなのだと思う。
 
 日本を、組織と個人を、未来に向わさせるるのは「加点式思考法」なのかも知れない。精神障害者(自分)が言うのも変な感じだが、減点主義の管理では、未来は明るくならない。