冬近し 2

2013.11.12 風の戯言


 今日は寒く、社内温度計は「3度」。
 フロントガラスに薄く白いものが着いていた。

 毎日の通勤路の途上、国道252号線の下加納地内に見事なドウダンツツジが道行く人達の目を楽しませている。

 一緒に地域の夢を語っていた夫婦の姿が、最近見えない。

 気になりながら、一枚の写真に、2人が幸福であることを祈っている。

 

 

冬近し

2013.11.10 風の戯言


 「島耕作」に嵌まっている。

  NHKのBSにそんな番組があり、現在のニュース解説としても面白いので、つい・・・買ってしまった。

 今日は、昨日の秋晴れから一転し、ドンヨリとした雲に覆われ雨の降り続いた一日になった。天気図も冬型になり、予報では雪も近いとのこと。また、大変な半年が始まる。

 写真は2階の窓から公園と八石山の風景。
  

秋の陽射し

2013.11.09 風の戯言


 穏やかな秋の陽射しに誘われ柿崎から小岩峠、野田から石黒を抜け、短いドライブを楽しんできた。

 米山と黒姫山の西側は見事に紅葉していて、「秋」を見れた幸運を1人喜んでいた。

 帰りは「じょんのび村」により一風呂浴び、夕陽を浴びた山が美しく、穏やかな空には薄い雲がたなびいている。

 こんな長閑な時間があるのだな、と妙に納得。

 いい一日だった。

 明日は大荒れらしいけど・・・。

些細なこと・・・

2013.11.04 風の戯言


 天は自らの意思で動いている。

 地球に蠢く我らは、実は「無」に近い。

 ただ、人間の不思議さは、その「天の意思」を理解しながらもなお「自らの意思」を実現させようと藻掻く。

 「天の意思」から見れば「人間自らの意思」は些細なこと・・・なんだろうが、それが熱い。
 愛や恋、遠くなったがなくなった訳ではない。
 時折、熱い想いが吹き上げる。
 時折自分の意思を制御できなくなる。

 能動的虚無主義 Positive nihilism
 格好付ければそんな言葉になるが、要は「天の意思」を意識しながら「自らの意思」を貫くこと。今日を精一杯に生きること・・・それしかないのだろう。

 なんて、今更のように肩肘張ることでもないけれど・・・。

文化の日

2013.11.03 風の戯言


 世の中は「文化の日」とかで、いろいろな行事が催されているようだ。
 ザイゴに棲んでいると文化とはほど遠い生活で、本当は絵画の展示会や音楽会、文化講演会などに時間を割けば楽しいのだろう。現実は畑の片付け(ホンの少し)、裏山の散策、読書程度。
 最近は熱気球の大会にも足が遠退いている。

 現状を凝視してみると、心身共に劣化が酷く、確実に崩壊に向かっているのが実感できる。
 これは自分だけのことではなく、万物が時間の流れの中で相等しく定められた運命みたいなもの。
 なんてことを「光秀の定理」(レンマ−サンスクリット語らしい)読んでいて感じたことなんだが・・・。

 他の歴史書の中で、光秀の行動が最もらしく語られているが、ここでは小心の1人の男が、親しみを込めて描かれている。

 考えてみれば、この広大な宇宙の中で、自分の存在に思い悩んで生きているのは人間だけなのだろうが、ただその「無意味に近い生」を「心」という意味不明且つ厄介なもののお陰で、多少は味わいのあるモノに感じられる。

 人間が人間であるというのは、多分そう言うことなんだろう。

 秋が忍び足で近づいている。