秋のお彼岸
昨日の秋分の日は、新潟の気球の仲間達が「風船一揆 秋の陣」で空を飛んでいた。気温の変化に体調が追いつかず、電話で様子を聞いて歯ぎしりしていた。
マッサージで元気を取り戻し、会社で仕事をしたり、お世話になった人達への墓参りで、何となく心の重荷が軽くなったように思う。
休日に会社に出てみれば、総務は普段の日に出来ないことをやっていたり、北海道に出張に出かけていたり、名古屋で仕事が伸びたり、市役所の関連施設でネットワークが繋がらなかったり、それは結局NTTのミスだったりするのだが、その対応に追われている。
今回、神の手配かと思うが、名古屋でのサーバー更新が機器の関係でトラブり、調整完了後帰社し再確認したらまだやはり完全ではない、とのことでテンヤワンヤ。ただ、担当課の1人がプライベートで大阪にいて、名古屋の友人のところに寄って・・・なんていう話が繋がり急遽現場に飛んで貰って無事解決。メデタシメデタシ ! 天はまだ我を見捨ててはいないようだ。
自分達にとって、この仕事は天職。もっと頑張って、社員が未来に夢を持って働くことの出来る会社を創るのは経営者の責任。70歳を過ぎても、現職である限り弱音を吐くことは出来ない。・・・遊びが足りない・・・
海の喫茶店でお茶を飲んでいると、何とも懐かしい浜辺に波の寄せる音が聞こえてきた。何か不思議な感情に包まれて暫く波の音を聞いていた。
36度
今日は敬老の日なのに、70歳過ぎれば「立派な老人」なんだろうが・・・ 誰も何も言ってこない。
それにしても暑い日だった。
9月も半ばを過ぎて、真夏にも珍しい「36度」・・・大雨の地域もあるのに、いやいや、お天気も以前よりも手前勝手になってきたようだ。
世を拗ねた人間にはどうでもいい話のようだが、尖閣列島をめぐる中国の動きには、そのまま捉えたらお馬鹿さんになるのだろうが、呆れるね。
お陰で、もう一度日本が見直されて、やはり本当に信頼でき、未来に夢を組み立てられるのは、日本という祖国しかない・・・そんな再認識が広がれば嬉しい。
それが日本の基本的な国家戦略、認識になれば、それが本気で議論できるチャンスとして民主、自民党の党首選びに反映されてくると面白くなるのだが・・・拗ねている暇はないのかな。
田中角栄と生きた女 昭
と言っても、佐藤優の「読書の技法」のように月平均300冊、多いときで500冊。一冊5分、普通の速度で30分、と言うのは信じられない。正に「超能力」なんだろう。
のんびりと、昼寝の間に目を通すくらいの感じ。
岸信介の生涯や、浅田次郎の最新作「赤猫異聞」、黄文雄の「日本人は何故中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか」など相変わらずの乱読雑読で、これが問題なんだが、読み終わっても何も覚えていない。刺激的なはずなんだが・・・。
秋の3連休、初日は裏山で久々のハーフゴルフ、今日は爽やかな秋空に誘われて、朝6時から「ぶどう村」で居眠り、午後は海の青さに引き出されて「聖が鼻岬」で昼寝。
幸せな休みの連続だ。
本屋に「絢爛たる悪運 岸信介伝」を買いに行ったが在庫なし。棚に「田中角栄と生きた女 昭」があり迷わず買った。佐藤昭と田中角栄の認知されなかった娘「佐藤あつ子」による角栄と昭の物語。彼女の語る「複雑すぎる家庭」の真摯な愛情と関係者の軋轢が涙を誘う。
そうだったのかと今始めて納得する部分も多い。
竹源さんや浪花屋さんが実名で出てきて、ここに住んでいながら「柏崎」を懐かしく思い起こしている。過ぎ去った時間の風景は、何か表現できない感情の中に生きている。
大変な人生もあるんだよね。
信濃路
焼トウモロコシが食べたくて信濃路を走ってきた。
目的地の近く、野尻湖の入り口の山側に蕎麦の花が広がっていた。初めて見る光景だが、何となく嬉しくなった。
このドライブでは奇妙なこともあった。
関山から斑尾高原に抜ける道を、人家のない細い山道で旅行鞄を引いた中年前の女性に出会った。こんな場合、大抵は見ぬ振りをして追い抜くのだが、何となく気になり「乗っていきませんか」と声を掛けた。「いえ、近くですので」と優しそうな声が返って、「じゃー、気をつけて」と追い抜いていったのだけれど、可成り走っても人家は見えない。
あの人はどこから歩いて来、何処まで歩いて行ったんだろう・・・不思議なこともあるものだ。
以前にも書いたが、どんな山道を走っていても虫や蛇や動物に出会わないことが多い。
昆虫や小動物が生存できない環境に、人間は何時まで住めるのだろうか・・・自然が風化されてきている。
今日は重陽の節句
そして片貝の花火 ! ドッカーーン !!!