京都・奈良の旅
そんな訳で、妻に牽かれて今年も京都・奈良の旅をしてきた。2時過ぎに京都に入ったのでタクシーを奢り竜安寺、仁和寺、金閣寺を駆け足で味わい、暗くなって奈良へ。
翌日の奈良は唐招提寺から薬師寺まで散策し、タクシーに奈良シルクロード博記念館と指示したら自分だけ納得して奈良国立博物館へ。仕方なしに興福寺から駅裏のホテルまで散歩になった。時にはこんな間違いもいいものだ。それが旅・・・?
体中のエネルギーが枯渇したような状態での旅は、牛に牽かれてやっと歩いているような感じで、あまり興味が湧かない。ぞろぞろと年寄りばかりが大勢で、俺達みたいな若者は居ない。修学旅行の子供達はブスばっかりで・・・。
それでも2日とも雨もなく、紅葉が美しく、奈良は疲れ切った我が身を温かく迎えてくれていた。感謝 !
秋が行く・・・
6日は東京・渋谷で日本生産性本部の元石顧問と飲み、語り、新潟産業大学寄附講座への熱い支援をお願いしてきた。
現代の経済社会は知的資産が重要になり、柏崎は2つの大学のバージョンアップと共に豊かな地域を造らねばならない。それしかないのかと思っている。
ホテルで倅と軽く飲み、励ましたり励まされたりで、親子って良いものだなと思う。
7日は柏崎で悪友の集まりに狩り出され、駄洒落の嵐に些か疲れたし、疲れさせた。
反動で今日は少々「欝」状態。
性根が定まらず、欝弾が体中を駆け巡る。こんな時には自然の中に飛び込むしかない。
カメラ片手に、今まで走ったことのない山奥を抜けてきた。不思議なことに、どんな山の中にも人家があり人が住んでいる。人の住まない家も勿論多く、「今頃、俺達は日本の歴史のどんなところに居るんだろう?」と思うことがある。
人は生まれ、何かを伝え、そして死んで行く。
今、体調と心情的なふらつき「欝」で迷っているが、己の役割についての認識は豪とも動いていない。天から授かった役割に迷いはないが、一人の男として今生で遣り残したことはないのかい・・・? 旅であったり、恋であったり・・・少々焦りが出てきたようだ。
俺は河原の枯れススキ!
30日は秋晴れに誘われて野尻湖まで足を伸ばしてきた。休日の高速も次第に落ち着いてきて、今は従来どおりに戻ったような気がする。単線、複線が交互になる長野道も左一車線のような運転で流れている。マナーの遵守は大したものだ。
信濃町で下りて黒姫高原を目指し、紅葉を満喫して野尻湖に向かう。朝食を食べて無いので水辺のレストランでモーニングが食べたかった。体が本調子なら飯縄高原にも足を伸ばしたかったのだが・・・自宅に午後から来る孫の顔も見たいし、他は車窓から秋を見回すだけ・・・で満喫。帰路を急げ!
お昼過ぎに家に着き、じょんのび村で温泉に浸かり、夜は家族揃っての夕飯。
11月1日は旧中鯖石村の農業感謝祭。家の前のコミュニティ広場が各集落の屋台村に変身、野菜や果物、切花に饅頭なとが夫々売られていて、久し振りに村の人たちと話に花を咲かせていた。やはり此処は良いところだ。
何とも心温かい場所に戻ってきたようで、嬉しい一日だった。