秋祭り

2011.10.16 風の戯言


 最近眠りの様子が変だ。
 通常、自分が今どんな状態の中で眠っているか、何月何日の夜なのか、昼寝なのか、大抵は眠りの中でも意識はあるはずなのに、最近はそれがさっぱり解らない。
 今日も携帯電話で眠りから起こされ、一瞬状況が解らなかった。こんなことが何回か続いている。今までなかったことなのだが・・・眠りに深く入り過ぎているようだ。

 今日は集落の秋祭り。
 久し振りに皆の顔が見え、笑みが返ってくる。
 山間の集落に居を移して、もう40年近くになる。
 最近は、忙しさにかまけて女房任せにし、地域の中の自分の居場所が見えなくなっていた。久し振りの笑顔に殆ど変りもなく、何とも嬉しい一時だった。
 もう少し、こんな時間を大事にしたい。

秋を歩く

2011.10.14 風の戯言


 会社をサボって鯖石川の堤防を歩いた。
 お天気はよく、川風は微風、少し暑いくらい。

 平日に、こんな時間を取れたのは随分と久しいように思う。フラフラと、痴呆症の老人が迷い出たような歩き方だが、川音を聞きながら、バッタや赤トンボと秋を語りながらの散歩はもう最高 !

 今日一日を精いっぱいに生きる。
 それが大切。

 今日一日は、精いっぱいに頭の芯を飛ばして遊ぶ。
 それが大切。

秋の香り

2011.10.11 風の戯言


 空に薄雲が流れ、山が霞んでいる。
 庭に金木犀が香り、早くも枯れ葉が落ち始めた。

 柏崎が好きで、たま鯖石は格別で、時が流れて行く。

 ここで秋の空を眺めていると、ギリシアの金融危機も、政治の世界も遠く霞んで見える。ただ東北の苦難は人ごとに思えない。沖地震で、柏崎もあの世界だったのだと思う。

 一日、平穏に過ごせる有難さを噛み締めている。

ララのテーマ

2011.10.09 風の戯言


 夏の疲れか、仕事の祟りか、先週はエンジンの調子が悪く、それでも2夜の楽しい飲み会を過ごさせてもらったが、週末は熱っぽくダウン気味。
 3連休は倅も帰ってき、バイクでトンヅラした婿さんは悔しがっていたが、家族4人プラス1が集まり、連休を楽しんでいる。
 老体は布団の中か、田圃の真中にチェアーを持ちだし、秋風を感じながら空と雲と山を見ている。黒姫山はかすみ始めているが、それがまたいいのだ。
 
 10日は能生までカニを齧りに。長福丸は随分と昔鯨波の売店で顔なじみだった人の一族。親戚一同、みんないい顔をしていて、何となくうれしい。いいおやじだった。

 深夜、またCDを聴いている。「ドクトル・ジバゴ」の「ららのテーマ」が大好きで繰り返し繰り返し聴いている。今でも記憶の中でオマーシャリフが動き出している。時代が大きく動き出す時の、運命に翻弄される不条理とそれを超えた愛の世界に感動していた。1965年の作品。忘れられない。

 何日振りかでパソコンに向かっている。
 また明日から戦争に戻ろう。

ヤマトの国、麗し

2011.09.29 風の戯言


 毎年、稲刈りの季節の半ばになると体調が崩れる。隣に農協の大きな乾燥施設が有るからなんだが、自分が建設業の現役時代、直接現場指揮したことから苦情も言えないでいる。防音、防振装置はつけて貰ったのだが・・・粉塵は避けられない。南無阿弥陀仏、だね。

 秋の天気が素晴らしく、お昼休みは善根の田圃の真中でチェアを出して日光浴。少し暑すぎたけれど・・・。

 夕方は結論の出た「ぶどう村」に、何時ものように散歩。建物の取り壊しが始まったようだ。乞われたままに社長になるべきだったのか、最後に財務の破壊が見つかった時点で柏崎市に継続の最終判断を求めたのが良かったのか。間違いはなかったと思うが、どこかで叫び声が聞こえる。

 黒姫と米山の間の山々が夕霞に沈み始め、2度と訪れることのない「今日」一日の幕が下りてゆく。
 寝静まった夜を、一人50−60年代の懐かしい曲を聴いていると神に感謝したくなる。楽ではなかったが、充実した日々を楽しませてもらったのだと思う。心の底から感謝する、そして、みんな、懐かしい。