ぼんやりした不安
納得できない降雪に戸惑っている。
「挨拶」程度の雪だとタカを括っていたら一丁前の雪になった。でも、今日は青空が見えたりして、やはり不思議な気候だ。
芥川が「ぼんやりした不安」と自殺した昭和2年は1927年。大恐慌はその2年後に爆発する。サブプライム問題の分析も対策もないままに、ジョーズ・ソロスの警告を嘲笑うように商業用不動産バブルが弾けようとしている。穴吹工務店の倒産劇の裏側には複雑な人間模様がありそうだけれど、これも単なる「1件」に過ぎなくなりそうだ。
経済は「新しい経済学」が出現しないと救いようのない時代に突入しているのかも知れない。ケインズ以来、それは見えていないのだろう。となれば、自分の身は自分で守る知恵と力を備えておかなければならない。
「ぼんやりした不安」が情報化により未来が見えるような不安に変っている。未来に挑むバカさ加減が今ほど必要な時期はないのかもしれないが・・・勇気と知恵。
人間の幸せとは何か
「ものやお金があると幸せだと思いますか」住職は続いて
「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされることです。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。
その愛も働くことにより得られるものだと思います」
鳩山総理の所信表明演説の一節です。
法政大学坂本教授の「日本で一番大切にしたい会社」で紹介されている、障害者を受け入れて高い業績を上げている「日本理化学工業株式会社」のことを感動的に述べています。
働くことは生活の資源を得ることですが、仕事を一生懸命にやることで得られることの大きさと多さを改めて感じます。至誠天に通ず・・・そうなのかも知れません。
雪が降り始めた。
長い冬が始る。
坂の上の雲 (2)
今日もNHK「坂の上の雲」を夢中になってみた。
多分、歴史的なメッセージをこめているのだろう。最近にないドラマ作りの真剣さが伝わってくる。嬉しいね。
『文芸春秋にみる「坂の上の雲」とその時代』を読み始めていて、司馬遼太郎が大東亜戦争の軍部の失敗を日露戦争の勝利を勘違いしてしまった悲劇、教訓として捉えていることを改めて感じた。
戦争、或いは競争は自らの眞の姿を知ることによる恐怖感から出発しなければ、いや、そうしないと情報の価値を深く感じることなく自らの妄想に突き進んでしまう危険を避けられなくなってしまう。
経営にも言えることだ。
いろいろ考えると臆病になってしまい、時代に対応した一歩が進めなくなる。情報が多いと迷いの中に疲れ果ててしまう。しかも、選ぶべき、選択し得る道は一本しかない。
頑張るより他はないのだろう。
長岡商工会議所 新年号への原稿
卓越した業績を目指して
経営品質アセスメントへの挑戦
今年もまた激動の年になりそうです。一昨年のリーマンショックで「地域経済」は世界の経済環境に直結していることを否応なしに実感させられました。しかし競争社会の限界も見え始め、「経済とは皆が生きる仕組み」、或いは「仏教の根本は共生(ともいき)」という言葉も見直されています。企業は営利活動による継続的成長を法的前提としていますが、同時に自然環境との調和と、社会、顧客、社員に対し責任ある存在としての自覚を求められ、同時にデフレスパイラルの予感の中で企業経営は難しい舵取りを迫られています。
弊社は「総合情報サービス業」として業務ソフトウェアの設計・製作、情報通信ネッワークの構築、情報関連業務の保守・サポートを主業務とし、顧客は自治体、企業、個人等多方面に渡り、ユーザーは全国に広がっています。顧客の知的情報資産に直接触れ、「信頼と創造」社是とする企業として「社員満足なくして顧客満足はありえない」と考えています。社員の人間性の向上、専門知識と技術の向上、経営の安定が何よりも大切になります。
創業20年を目の前にし、経営を次世代に託し継続的成長を考えていた時、顧客の部長さんから「経営品質アセスメント」の話を聞き、「これしか、ないっ !」と思い至りました。以来6年、試行錯誤を繰り返し、セルフ・アセッサーも9人育ち、経営の視点を顧客本位、独自能力、社員満足、社会貢献の経営品質4つの理念に照らして全社で見直しています。社員50人の小さな会社ですが朝礼時当番の社員が経営についてスピーチし、社内ホームページに発表しています。たどたどしい歩みですが、昨年は新潟県経営品質賞奨励賞を頂きました。やっとスタートラインに立てた思いがします。
今年は「柏崎経営品質研究会」で新潟産業大学に「経営品質とは何か」を主題とした寄附講座を開設させて頂ことになりました。「地方の時代」には其処で生きる為の経営学があるはずであり、経営品質アセスメントは地方の中小企業にとって継続的成長のための知恵と勇気を与えてくれる科学的経営実践学だと確信しています。
日本生産性本部、経営品質協議会の支援を頂きながら、原発立地地域の自力による自立を目指したいと考えています。地方が経済的自立を果たすことは簡単なことではないけれど、経営者が熱意を込めて未来を語り、社員と地域と共にその価値観を認識・共有し、実現に向けて共闘していくならば不可能はない、と信じています。都会で失われつつある本来の人間の生きる喜びと、知的資産経営と呼ばれる現代の経営は地方でこそ可能な筈だと思うからです。
坂の上の雲
社員の永井君から教えて貰って今日3回目のNHK「坂之上の雲」にのめり込んでしまった。司馬遼太郎は最も好きな作家で、特に「街道を行く」は全巻書棚に収まっている。「坂之上の雲」は正岡子規や夏目漱石の物語から日露戦争物語と2つの物語を一つにしたような不思議な本だったと記憶している。
最近、テレビ・新聞の方向が以前と明確に違ってきたような気がする。時代が変り始めているのだろう。沖縄の基地問題も日本の叫び声を感じるようになっている。アメリカに振り回されて独立国家として本当の幸福が可能なのか、まだ明らかな声にならない地の底からの何かが伝わり始めている。
週末には娘が娘を連れてやってくる。
そろそろ1歳と4ケ月。雪はないとは言え12月の風の中を、家に帰ろうともしないで自宅前の公園で遊んでいる彼女に、何とも言えない嬉しさが込み上げてくる。
最近は雲の色や形、紅葉や自然の美しさに以前とは違うものを感じ始めている。何となく懐かしく、嬉しく、花の形や水の色が良く見えるようになった、ような気がしている。
多分、アセリが薄らぎだしているのだろう。考えてみれば今までの時間より未来の時間が確実に少なくなっている。生命を持ったものにとって、それは決して忌むべきものではなく、それはむしろ生きるものへの祝福ではないかと思い始めている自分がある。
何時の時代でも、生きることが安楽であるはずはない。しかし、自分達の世代は歴史上稀に見る幸運な時代を生きてきたのだろうと思う。この先に何があるのか、見届けてやろうじゃないか、と今まで思いもしなかった考えが浮かび始めている。齢のせいで死に欲が出てきたのかな?