一枚のCD
小雨降る暗闇を見詰めながら、一枚のCDを流し聞きしている。12月だというのに窓を開け放したままでもそんなに寒くもない。窓辺でグラスで酒を飲みながら、暗くて何も見えない庭をボーとして眺めているのは心地が良い。もう1時を回ったのだが・・・。
「作家の使命 私の戦後」山崎豊子(新潮社)を読み続けられなくなった。作者が作品の背景を語るのには多少の抵抗がある。しかし、彼女の創作に向かう取材活動を知ることで、その小説の奥深さが増してくる、そんな思いが強い。
いろいろと批判されている作家ではあるけれど、彼女の建築家のような構想と設計、その後の細部にわたる且つ現場にたった取材、しかも膨大な資料読み込みなどを知ると、あの記述の確かな手ごたえが納得でき、新たな感動が蘇ってくる。
この本の中で何箇所かで啓示されているゲーテの格言
「財貨を失うこと、それはまた働いて蓄えればいい。
名誉を失うこと、それは挽回すれば世の人は見直してくれるだろう。
勇気を失うこと、それはこの世に生まれて来なかっ方が良かったであろう」
随分な言い方だが、誇りある生き方は何事にも優先されるべきもの、なのかも知れない。
青すだれ 秋の図
「文芸春秋」に3ケ月連続掲載された浜矩子の「経済白書」は現実の経済状況を見直すいい材料だ。この稿とジョ-ジ・ソロスの警告と合わせ読み直してみると、世界経済の脆弱性が浮かび上がり、ドバイ発の激震の未来が見えてくる。
世界は常に綱渡りなのだが、現在の状況は文明史的な変換点である事を実感させている。経済の仕組みと価値観が変わってしまったのだ。
新しい時代には新しいやり方がある。ただ過渡期の現実は単純そうで魅惑的だ。表面的な現実の根底を理解する為に知恵と情報を総動員しなくたはならないのだろう。浅はかな現実認識では目的とのギャップを埋めて行く戦略の根底の出発点がずれている事になる。
知的資産経営は人的資産経営であり、価値観のズレを認識し、共有化し、報連相によるコミュニケーションの促進、ナンテ教科書的ではない全人格を振り絞った弁証法的によるアウトへーベンが求められる。
激動期、人が生きて行くのは容易ではない。でも、それはそれで楽しいではないか。
庭のモミジがいい色に染まっていた。
不毛地帯
山崎豊子の世界に沈殿している。
「沈まぬ太陽」は随分と以前だが、先日は「運命の人」に出会い、同時に何気なしに買い求めた「不毛地帯」に感動し、時間を作っては本の世界に没頭できた。
テレビドラマがスタートしていることを知らないで居たが・・・本を先に読んじゃうとテレビも映画も詰らなくなる。
文庫本の4巻に
「仏教の根本は、一言で解りやすく言えば、共生(ともいき)の精神だ。
自分の為にだけ生き方ではなく、自分の生き方が人に感銘を与え、人に幸せをもたらす自他共に生きる共生(ともいき)のこころが存在しなければならない。
自分の執着、執念だけで動けば、自分を縛すると同時に、相手をも縛することになり、修羅の世界に没してしまうことになる」
自利利他、菩薩行ということなのだろうが、久し振りにこんな言葉に出会え、今も感動が続いている。