秋風愉し

2009.11.16 風の戯言


 日曜日は久し振りに愉快な風が吹いていた。
 予報では雨だったけれど、青空に早い雲が流れ、風が紅葉を奪っていった。「愉快」というのは秋の日差しとまだ温かい風が何とも快かった。
 夜は市長後援会の集まりがあり、会場には久方振りに見る顔が多く、つい話が弾んでハシゴしてしまった。しかし、もう酒は程々にしておいた方がよさそうだ。

 週末には娘家族が泊りに来る。
 娘の娘はもう直ぐ1歳3ケ月。あの風の中を散歩をせがんで古女房と公園で遊んでいたようだ。元気に育て !

京都・奈良の旅

2009.11.14 風の戯言


 今年は結婚37年、だそうだ。へぇ−、恐れ入れいります。

 そんな訳で、妻に牽かれて今年も京都・奈良の旅をしてきた。2時過ぎに京都に入ったのでタクシーを奢り竜安寺、仁和寺、金閣寺を駆け足で味わい、暗くなって奈良へ。
 翌日の奈良は唐招提寺から薬師寺まで散策し、タクシーに奈良シルクロード博記念館と指示したら自分だけ納得して奈良国立博物館へ。仕方なしに興福寺から駅裏のホテルまで散歩になった。時にはこんな間違いもいいものだ。それが旅・・・?
 体中のエネルギーが枯渇したような状態での旅は、牛に牽かれてやっと歩いているような感じで、あまり興味が湧かない。ぞろぞろと年寄りばかりが大勢で、俺達みたいな若者は居ない。修学旅行の子供達はブスばっかりで・・・。

 それでも2日とも雨もなく、紅葉が美しく、奈良は疲れ切った我が身を温かく迎えてくれていた。感謝 !

今年はまた格別な・・・

2009.11.10 風の戯言


 急に思い立って「松雲山荘」を訪ねてきた。
 今年はまた、思いのほか「赤」が綺麗で、僅かな時間だけれど「秋を満喫」してきた。

 夜のライトアップは素晴らしいのだろう。

                              夢のまた夢の果てなる秋が行く。
                                                     オソマツ

 写真マニアの友人が「貞観園」には「黄」が多く「赤」がなくて寂しい、と。 紅葉と黄葉と緑のバランスが取れて秋の美しさはあるのかも知れない。人もまた然り、か。

秋が行く・・・

2009.11.08 風の戯言


 6日は東京・渋谷で日本生産性本部の元石顧問と飲み、語り、新潟産業大学寄附講座への熱い支援をお願いしてきた。
 現代の経済社会は知的資産が重要になり、柏崎は2つの大学のバージョンアップと共に豊かな地域を造らねばならない。それしかないのかと思っている。
 ホテルで倅と軽く飲み、励ましたり励まされたりで、親子って良いものだなと思う。
 7日は柏崎で悪友の集まりに狩り出され、駄洒落の嵐に些か疲れたし、疲れさせた。

 反動で今日は少々「欝」状態。
 性根が定まらず、欝弾が体中を駆け巡る。こんな時には自然の中に飛び込むしかない。
 カメラ片手に、今まで走ったことのない山奥を抜けてきた。不思議なことに、どんな山の中にも人家があり人が住んでいる。人の住まない家も勿論多く、「今頃、俺達は日本の歴史のどんなところに居るんだろう?」と思うことがある。

 人は生まれ、何かを伝え、そして死んで行く。

 今、体調と心情的なふらつき「欝」で迷っているが、己の役割についての認識は豪とも動いていない。天から授かった役割に迷いはないが、一人の男として今生で遣り残したことはないのかい・・・? 旅であったり、恋であったり・・・少々焦りが出てきたようだ。

一緒に月見をしようよ !

2009.11.05 風の戯言


 部屋に蝋燭を灯し、窓辺の椅子で庭を見ていると切ない程の昔に引き戻される。月明かりに庭の芝や木々が美しい影を創っている。

 月明かりが、こんなにも明るかったのか、と驚く。
 よく、「昼間のように明るい」と言うけど、なにやら物悲しさ・・・子供の頃から忘れていた月の灯りの物悲しい光に惹かれてしまう。

 物悲しく香を焚き、物悲しく音楽を流し、物悲しく酒を飲む。

 忘れていた俺の寂しさに目が霞んで来る。

 俺は一人。それが俺。宇宙を漂う小さな浮遊物。それが俺。心配するな。

 月明かりと音楽が俺の中で交じり合い、どう表現していいのかわからない悲しみらしき香りが漂い流れて行く。