タイトル無し

2007.12.31 風の戯言

 強風のため大晦日の復興花火は翌日に延期した。
 打ち上げ現場の柏崎港東埠頭は横殴りの雨で立っていられないほどの強風が吹いていた。今は不思議なほど静か。ままならぬものは天気、なんだ。まぁ、それも決定したことでしょうがない。
 来年はいい年であって欲しい。

大晦日の復興花火 天気は?

2007.12.30 風の戯言


 静かな年の瀬を迎えている。
 ただ、大晦日の花火を計画していたのがこの天候でどうなるのか、少し心配だ。もっとも、心配してもしょうがないのだが・・・。全ては神の思し召し、です。
 それにしても、こんなに多くの人から協賛が集まるとは思ってもいなかった。やっぱり何かを求めていたのだなと改めて感じる。そう思うと明日は腫れてもらいたい、せめて風が収まってくれれば悲しみと祈りをいっぱい詰め込んだ花火が揚るのだけれど・・・。

男一人のクリスマス

2007.12.25 風の戯言


 なにやら「題名」だけでモワァーと臭って来そうなタイトルになってしもうた。キリストが何をしたか、キリシタンが何をしたか、カトリックが何をしたか・・・この問いを並べるだけで怨霊のカラオケ大会が出来そうだ。
 しかしまぁ、御維新以来西洋風物はカッコ好く、日本文化は乞食臭かったのか。日本語を破棄し言葉を英語にしょうとした御仁がいた。何人かだよ、明治政府の高官達だ。成功していれば「NOVA」は悩まんでもよかったのにねぇ。

 まぁ、何だか分らんけど メリークリスマス だ。
 もう少しで2年参り、初詣、除夜の鐘で108の煩悩を清めて
さて、また来年はナニコサ悪いことするだ。キリスト教の懺悔みたいに牧師様に聞いて貰わなくても、日本の煩悩は鐘ついたり酒飲んだりしているとチャラになる。絶対こっちの方が便利じゃぞ。

タイトル無し

2007.12.23 風の戯言


 猫たちのそこが棲み処か年の暮れ    草風

 今日は冬至。雪も無く雲間に青空も見え年の暮れとは思えない時間が過ぎていく。枯れ草の中に雀達が声を潜めて集まり、庭は残り柿が静かな時を過している。

無題

2007.12.22 風の戯言

 遅き日のつもりて遠きむかしかな      蕪村

 雷が自分のところにだけは落ちないように「くわばら くわばら」と呪文を唱えるのは何故? と不思議に思っていたが陳舜臣の「中国の食物史」を読んでいたら「桑原」は菅原道真の領地なので自分の領地には雷を落さないだろうということらしい。学者ってつまらぬことを知っているもんだ。

 冒頭の句
 遅き日は春の季語らしい。そんなことはともかく、暮れの近づいた夜はいろいろなことが思い浮かぶ。思い出しちゃいけないことまで・・・蕪村60歳の句