マレーシア熱気球大会

2008.01.23 風の戯言

 朝の会議中、カレンダーのカメラマン高本さんからマレーシアでの国際熱気球大会へのお誘いがあった。会議を中断し日程を確認し、その場で参加を申し込んだ。
 マレーシアはシンガポールJETRO駐在だった三上先生ご家族とマラッカまで旅行した時以来だ。相変わらず詳しいことは後回しにして、既に夢はマレーシアに飛ばしている。
 高本さんには以前モンゴルに誘ってもらった。草原のフライトは今も忘れることが出来ない。このブログの背景の写真がその時のものなのだが、何処までも続く草原に着陸するとミントの風が吹いていた。

 

死について

2008.01.22 風の戯言

「吾死なば焼くな埋めるな野に晒せ痩せたる犬の腹肥やせ」
 小野小町の辞世の句と伝えられるこのヤケクソみたいな和歌?が気になっている。人間なんて動物の一種でしかないのだから肉体が滅びたら魂も何もないわけだけれど、そうは問屋が卸さないのが人間らしい。
 原始仏教ではその辺は割り切っているのだろうけれど、やっぱりそれじゃ落着かない。あの世だのこの世だの、はたまた天国地獄に極楽だのと無知な民衆を脅して、魂の救済と称して金と命を取り上げていた宗教的熱狂者は凄いと思う。
 イスラムなんてジハードで自爆でもしたら70人の処女が待つあの世にいける、なんてもう歌舞伎町でも「かなわねぇ!」って世界だね。しかし、ほんとかな?
 キリスト教は「復活」を信じさせているから火葬も出ないんだろうけれど、それじゃ埋葬する場所もなくなってくるから7年も経ったら掘り起こして別な人を埋めてもいい、ナンテどこかで読んだな。みんな最後の審判の日に復活するんだからそれでさえ込み合っている地球上はもう生身もキョンシーもごちゃごちゃになる・・・大変だ。
 みんなも「オレオレ詐欺」みたいなのに騙されている。デモなんか信じていないと落着かないという人間は、やっぱり可愛いのかも知らない。
 あれ? もしかしてリサ・ランドールの理論物理学でいう5次元の世界なんて新手の詐欺なんかも知らないね。テレビで蔓延る怪しげな占い師を、まさか本気で見ている奴もいないだろうけれど、結構この世界は受けるのかも?

森浩一の古代学

2008.01.21 風の戯言

 85歳の姉に薦められて森浩一の本とDVDを山ほど買った。
 いろいろ雑用があって集中できないので、拾い読みを楽しんでいる。躁のバカ騒ぎの後の欝状態なので、多少自閉症気味の身には浮世離れした本に救われる。
 「海から知る考古学入門」はこの日本列島に生きた古代人が、多分縄文人がヒスイを求め、ゴホウラやイモガイの腕輪を求めて糸魚川や沖縄までの海を行き来し、北海道の遺跡にまでその痕跡が認められるという。
 需要と供給の情報と運搬手段を手にした人たちが、懸命に生きようと努力した跡を、ただロマンと冒険という言葉に置き換えただけではこちらの想像力が情けなくなるほどの血のたぎりを感じる。
 幾つの命を落しても、自分の血の騒ぎを鎮めてくれるものは未知の世界への挑戦と、夢が達成された時の全身から血の吹き出しそうな感動しかないのだろう。一度それを味わったものに、平穏な生活は苦痛以外の何ものでもないのかも知れない。
 それにしても、食うことがやっとだったと思っていた古代人がヒスイや貝の装飾品を遥かな海原を越えて手に入れていた情景が眼に見えるようだ。間違いなく、魅惑的な女性の関心を買う為に、男達は命懸けだったということか? 口惜しいけれど、判り過ぎる・・・古代人ものぼせていたんだな。

読売新聞に掲載

2008.01.20 風の戯言


 大晦日に除夜の鐘に合わせた花火は強い季節風に拒まれ、結局中止になった。7月に、震災一周年に何らかのイベントがあるならそれに合わせればいいし、7月26日は夏の花火大会なのでその時でもいいかな、と実行委員会で話している。
 だから当分引き出しにしまわれたものとして考えていたが、新聞社の方にとって失敗も多少の価値あるものに思えたのかも知れない。2回ほどの取材のあと、今日の新聞に掲載して頂いた。
 なんとも面映い書き方なので嬉しいけれど、自分では何も出来なかったという慙愧の念が強いだけに正直言えは辛いものがある。

 雪が止んで木の枝に積もった雪も殆ど落ちた。自然はもっと荒々しかったはずなのだが・・・でも助かる。

現代とは何か?

2008.01.19 風の戯言


 米国のサブプライムローンの破綻により世界経済に暗雲が覆いかぶさってきた。元々生産性の低かった低所得者にマイホームを与えようという共産社会でも難しかった政策を狩猟民族の末裔にさせたことに問題の根源があるように思う。
 他部族他民族他人種は家畜に劣る存在でしかない、パタゴニアの歴史がそれを真正直に証明している。
 結局、英米の銀行とは何なのか。仲間の他は全て家畜でしかない。行員一人当たりの賞与が7000万円を超えるというと、それが優良企業と聞くと、その金は何処から略奪したのかと思う。経済は相互互恵のシステムであり、詐欺や略奪は前時代のマイナス遺産だと思うのだが・・・甘かったかな?
 人間の善意や宗教心は人間の一番弱い脇腹のような存在で、支配者にとって何時の時代にも変わらない「仕掛け-罠」のように思える。「魂の救済」の為の行為が選挙や戦争に狩り出される目的に使われるとしたら、それが多いのだけれど・・・戦略と知恵と力で攻められて、何の抵抗も出来ず、己の人生と営々として蓄えてきた富を強奪されていく様は何とも哀しい。
 たった一度だけこの世に生きることを許された、そしてモノを考えるという悪業を背負わされた人間というものの哀しさを思う。「人生は一つの無益な受難」そんな言葉もあった。しかし肉牛や豚にとって、生命とは工場で生産されベルトコンベアの上で処理されるものだけに過ぎない。それも哀し過ぎはしないか?
 もっと単純に生きた方がいいのかもしれない。雪に閉ざされて気力が萎えているのだろう。地球上のどの民族も太陽の運行による一日と季節の巡りに命の再生を願う信仰を持っている。「日はまた昇る」久々にヘミングウェイのタイトルを思い出した。
 近いうちにまた旅に出よう。旅は気力を吹き返してくれるはずだ。