国家の罠
本を読める時間が戻ってきた。
きっかけは文春7月号の「21世紀最大の発見 ユダの福音書」。著者の佐藤優氏に惹かれ始めている。
「ユダの福音書」発見の衝撃がやがてキリスト教を変え世界を変えてゆくのだろうという視点は鋭い。世界史に興味を持つ人に一読を薦める。
「国家の罠」は佐藤優の最初の単行本かと思うが、今その本を読んでいる。外務省職員で「鈴木宗男事件」に関わり現在執行猶予中の身ながら己の信ずるところをもう既に何冊か精力的に出版している。
外務省の宿願、北方4島返還に精魂こめて活動している最中、政策の変更に伴う国策捜査に翻弄されながらも、権力闘争のバックに流れる構図を内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という2点から見つめている。
小泉政権の歴史的な意味をこれほど明確に提示している人に始めて出会った感がする。
中締め
懇親会など酒席の最後を「中締め」と称し正式な会の終了を告げる儀式?がある。単に「締め」のことだが、そこは日本人らしく「もし都合が良かったらもう少し召し上がっていって下さい」との心遣いが感じられ、いい習慣だと思っている。
昨日、銀行さんの会社説明会の後立ち席での懇親会があり、その「中締め」を命じられた。光栄な役なのだろうが、正直言えば苦手だ。素直に形式どおりに出来ない性格の捩じれに嫌気を感じることも多いのだけれど、綺麗に纏めないと「世間知らず」になってしまう。正式儀礼の中に新鮮味を・・・自己アピールの機会でもある。そこで・・・
「ご指名を頂きましたので、僭越ではございますがこの会を締めさせていただきます。
ただ、銀行さんの会なので「バンザイ」だけはしたくない。三本締めは疲れる。関東一本締めは手抜きだ。
よって越後二本締めを行います。米俵を縄で絞める作業から、米所越後に伝わる中締め、越後二段締め、参ります。
よー、バン、バン」
みんな喜んでくれたけど、これで良かったのかな・・・