西本写真館
7月5,6日、関西のお客様を訪問して来た。
和歌山の西本写真館と犬山のラ・セーヌ様。泊りは噂のリッツカールトン大阪。全てに完璧な出張だった。
和歌山の西本写真館さんは、富士写真フィルムのユーザー会PGCの熱い要請で作成した写真館専用ソフト「ハイ、ポーズ!」の最初のユーザーさんでこのパッケージソフトの完成に大変お世話になった人なのです。建築後間もない建物にランケーブルを這わせ受付、事務所、撮影現場をネットワークで結び、事業の効率化より「お客様に驚き」を持ち帰ってもらいたい、そんな思いの篭ったユーザーでした。
私も創業間もない頃で体力だけが勝負と、いつも夜が遅かった。開発センターの事務所に電話が入ったのはもう深夜に近かった。西本先生だった。「石塚さん、まだ居たね」「うーん、仕事が終わらなくてね、だけど先生、こんな夜になにかあった?」「うん、まだ仕事しているんだけど・・・心のあるソフトウェアだね」
夜中に一人で、必死になって仕事しているときに、こんな感動的な励ましを貰ったら、もう場所も歳も忘れて一人でワンワン泣きしてしまった。デモ嬉しかったなぁ。
何年か経って、リプレースの納品時には立ち会えなく、「何だ、社長来なかったのか。飲みに行きたかったのに」と言う話を後で聞き、何年も後悔を引き摺ってきていた。やっとあえて、思い出話と営業の話と人生の話が出来て、俺は最高に楽しかった。
宿泊はリッツカールトンを取り、身分不相応なホテルをなめずるようにしてみてきた。やはり、人の動きと笑顔が違うなぁと思った。内装も絵もウィスキーも本物だった。バーで俺はシェリーの「ティオ・ぺぺ」を飲みご機嫌だった。
寝室は至れり尽くせりで、ベッドの硬さがミラクル状況。
ここに一人手来ることは犯罪を犯すことと同意義だね。
6日は犬山のラ・セーヌ本社を訪れ、忙しい社長の時間を2時間近くも取り上げてしまった。いろいろな温かい話が聞けてよかった。
社長の気楽な訪問のようで、デモお互いの信頼の確認であり、いつか又大きな花を咲かせてくれるでしょう。
高校生の頃の本で日本の城郭を解説した本に「犬山城」があり、いつか天守閣に登ってみたかったところ。天気もよく、周囲は絶景だった。遠くに金華山が見え、戦国末期の戦場の雄叫びが聞こえるような、そんな一日だった。
老人の、今生の思い出の旅、じゃ無くて、おれはやるぜぇ! 見たくさけびだしたい旅になった。ありがとう。
俺は65歳 まだまだ元気!
久し振りに小千谷市の山本山を訪れてみた。
曲がりくねる信濃川に深く抉り取られて、そこだけが取り残されたような山で、展望が開け、スキー場もあった、小千谷の人たちにとって心の大切な風景だと思う。
小千谷が生んだ偉大な詩人「西脇順三郎」は晩年をここで過した。「先生が人生の終焉の地として郷土小千谷を選んでくれたことに、我々は限りない誇りを感じる」と当時の市長星野行男さんは涙ながらに弔事をそう締めくくった。ありがとうございました、と。
山本山は詩人や市長、市民にとって思いを巡らすには絶好の散策の場でもったし、現在も多くの人たちに愛されている。市長は朝のランニングでこの山に登ってきていた。こんなふるさとをもった事を、正直、羨ましいと思う。
山頂周辺は牧場になっていて、昔は牛達がのんびり過していた。今も草原は残っているが、牛は見えなかった。
中腹に「市民の家」があり、「風船一揆」の時、宿舎として利用させてもらい、初期の頃の忘れられない思い出の場所ともなっている。
その広場の脇に竪穴式住居があり、随分前から気になっていた。縄文人の真似をし、笹の先に信濃川の魚の代わりにCDをぶら下げていたら「絵」にならないかと・・・・。
結局、無様なメタボな自分の姿にガックリ来ている。
西脇順三郎が散歩の最中にこの姿に出会ったら何と言っただろう・・・? 「バカが!・・・」と? いや、そうじないな。
大連
久し振りに大連の町を歩いてきた。
何故かこの町が好きで、過去3回くらい訪れている。一人旅もあれば何人かのグループの時もある。今回は若い社員に大連の躍動を見せたくて三泊四日の視察旅行になった。
この町の辿った歴史は生易しくない。ここでは省く。
現在大連は人口600万人、中国第三位の港町として繁栄し、町の雑踏と綺麗な街づくりが現代的な活力を漲らせている。特にit産業に賭ける熱意は凄く、写真の東軟情報学院の建物と底で学ぶ学生達の熱気には圧倒されるものがあった。
実は大連ソフトパークを視察し、学院は「ついで」みたいなつもりでいたが、現地に行ってみて以前訪問したところではなくそれとは比べ物にならないほどの規模で「聳えて」いた。
娘の結婚
娘の結婚披露宴の招待状が届いた。
発信者名は花婿の父と俺。なんか変なもんだ。
何処でどうなったのか詳しくは知らないが、娘が結婚すると言い出して「千恵が選んだ男なら俺は無条件で賛成する」と答えた。だからどんな青年かも知らないでいたが、会って見たら好青年だった。大型バイクと自然を愛し、サッカーを通じていい仲間に囲まれているようだ。
人間に必要なのは机上の知識ではない。人の悩みや悲しみを共有できる温かい心と時間を忘れて飲める仲間達なのだろうと思う。ビジネスの世界も駆け引きや力だけでは進めなくなった。経済社会だから基盤はソロバンだが、それだけではビジネスは成り立たないし、現代社会が一番求めている「感動」は生まれてこない。感動とは生きていることの共鳴なのだろう。
娘達は一月に婚姻届を出し、三月にフロリダの友人に会うこととバイクの祭典にあわせて新婚旅行に出かけ、最近になって彼氏の家に住み始め、披露宴は九月だと言う。俺には理解不能な結婚スケジュールだが、まぁそんなモンなのかも知れない。
千恵がアメリカ留学?遊学中に書いた「Boston」はこのブログの最初の方にあげておいたけれど、俺はとても嬉しかったことを覚えている。大丈夫だ。