5月まだ薫風ならず
5月の、珠玉のような連休は、命を蘇生させてくれる。
疲れ切った身体と心に、新緑と太陽が新しい命を吹き込んでくれる。小さな庭と、小さな畑、俺たち夫婦には十分な広さなのだが、落ち葉を掃いたり花を植えたりしていると幸せすぎる時間が流れていく。
思い立って、近くのコンビニで弁当を買い、テーブルと椅子を車に積んで近くの山に行った。
柏崎市野田から上越市柿崎に通じる小村峠の頂上に昼餉の場所を選んだ。眼下に野田の集落と田圃が広がり、別俣の盆地が細越城址に隠れ、久米のゴルフ場の向こうに八石の山波が連なる。息を呑む風景、とまでは行かないが、現在進行形の野田の歴史が時間の中に沈殿していく風景は美しい。
暫らく、5月の風を頬に受けながらコンビに弁当を楽しんだ。「贅沢なことしているね」と通り掛りの人が声を掛けていった。こんな遊びを知っていてくれる人たちが居る。それだけで嬉しさが倍化したような連休の初日だった。
明日は何処にしよう?
小樽運河
連休の前半、早春の北海道を旅してきた。
桜はまだ咲かず、山には雪が残り、道の脇の柔らかな蕗の薹の緑が美しかった。
新千歳から小樽の着いたのはお昼過ぎ。早速タラバカニの炭火焼にかぶりつき、地ビールを聞こし召した。真昼間から酒を飲めるなんて最高の贅沢で、旅の楽しさはここに極まる。
半ば千鳥足で小樽運河を見物、チェックインタイム前のホテルに我が身をねじ込み爆睡。あぁ、このしあわせ!
小樽で一つだけ見ておきたい所があった。
旧板谷宮吉邸である。宮吉は柏崎の出身で小樽財界の重鎮、板谷財閥の創始者。日露戦争旅順港封鎖作戦で板谷商船の米山丸、弥彦丸が自沈している。当時、日本中を湧かせた戦争活劇の主でもある。
三代目板谷順助の名が戦後第一回参議院選挙北海道選挙区の首位当選者として、ある。戦前、貴族院議員に属していたらしいが詳しいことは分らない。義父の叔父に当る。
旧板谷邸は現在海宝楼としてその面影を伝えている。多分素晴らしかったであろう庭園は砕石が敷き詰められ、心を痛める。祇園精舎の鐘の音・・・だ。
畑始めの儀
人間は出自が動物であり、現在もその1種であることに、当然のこだが、変わりはない。
動物である以上生命を繋ぐ為に食物を口にしなくてはならないし、その生命を燃焼しつくす為には、心身ともに健康でなければならない。
口にする食物は自然界の恵みであり、その事を神に祈り、口に出来ることのありがたさを神に感謝しなくてはならない。人間は他の生命を「戴き」自らの生命を紡いでいる。「戴きます」「ご馳走様でした」「ありがとう」は日本人が自然と共に、感謝の意を込めて生きてきた証でもある。
テレビで「グルメ」を主題にした番組が多すぎるが、時折食物を口に出来るありがたさと意味を教えてやって欲しい。
まぁ、そんな気持ちを込めて柏崎市高柳町(ちょう)荻の島の環状集落真ん中の田圃を借りて「畑始めの儀」を執り行ってきた。有機肥料・減農薬を7年続けている田で味噌用の大豆を創りたい。神に献上する味噌と味噌漬けをここで作ってみたい。
直会は「じょんのび村」で夜の更けるまで続いた。
きっとみんなの気持ちを乗せたとても美味しい味噌が出来ると思う。飲みながら、収穫祭の秋祭りの準備が進められていた。
全ては神と共にあった。そうなんだ!、と思う。
夕陽
躁は未来に向かっての突進、欝は過去に向かっての沈潜(ドクトルマンボウ恐妻記) 苦楽、躁鬱を繰り返しながら時間の旅人は歩いている。楽観は意志の分野に属し、悲観は感情に属する。闘う人たちは自らの内面を注意深く見守りながら歩いているのかも知れない。
前半の連休を使って小樽へ旅をしてきた。新潟県内の基幹通信網を提供している会社の合併を決めての親睦旅行。楽しい旅になった。
新潟からの帰路、高速を飛ばしていたら美しくも不思議な夕陽に出会った。走りながらの撮影なので迫力は減退しているけれど結構いけるかな?
走りながら夕陽を見ながらデジカメを操作しながらNHKテレビを聴いていた三遊亭円楽が人工透析、脳梗塞を乗り越えながら演じた「芝浜」の落ちがこみ上げてくるほどの感動だった。
「人間、簡単にギブアップしちゃあいけねえよぉ、己の信ずるママに最期まで走らにぁならん」そんな声が聞こえてきそうな番組だった。
夕陽は俺にそれを言いたかったのかも知れない。
木の芽ほぐれ
新入社員が入って来、子供たちの新学期が始まり、県議選が終わり、桜の花が咲き、市議選も終わって、いつの間にか世の中はゴールデンウィーク間近になっていた。
朝まだき、なんの気を起したか一人散歩に出かけた。一流の経営者達が朝の時間を大切にする、と言う記事を思い起こしたのかも知れない。冷気の中に八石の空の輝きが増し、鳥達の群れが姦しく囀り続けている。
情けない思いも怒りも押し込んで、住み慣れた山野の朝を楽しんでいる。
「人は見たいものしか見ない」という。塩野七生も玄侑宗久も良くこの言葉を引用する。見たいものしか見ない人たちに未来予測による危機管理というのは理解不能なのだろう。未来は意思を持った人の現実の積み重ねでしかないが、歴史に興味を持てば、時間の経緯の延長線としての未来の予測は出来る。カッサンドラの法則は悲しいけれど、人はまたそこで救われるのかもしれない。
まぁ、ブツブツ言ってもしょうがない。粘り強く、諦めることなく明日の奇跡を信じ、今日を精一杯に生きる、それしかないなあ。