鯖石賛歌
今日は温かい風が吹いている。
自宅の庭にはまだ雪が残っているし、近くの田圃もまだ白い雪に覆われている。だけど鯖石側の堤防が顔を出し、待ち望んだ「ランちやん」との散歩が出来るようになった。
黒姫山と八国山、そして鯖石側が私にとって掛替えのない風景で、その風景に溶け込んでしまう愛犬との散歩の時間は貴重だ。
変化の激しい情報産業に携わっていても、自分の体の中を流れる「時間」は農民のままなのかもしれない。だから時々時計を戻してやらないと大切なものが狂ってしまう。
司馬遼太郎と陳舜臣の古い対談集を読んでいたら、イスラム暦は1年が311日単位だから農業が出来ないのだと言う。ナイルの氾濫がエジプトの暦と測量技術を発展させたというハナシとはどう繋がるのだろう、等と思いながら窓から庭を眺めている。いい時間だ。
山茶花が痴呆症に近くなった俺を見ている。
春のお彼岸
今日は春のお彼岸の中日、春分の日。
お天道様が真東から上り真西に沈む。夜と昼の時間が同じくなり、今日から一日毎に日が長くなる。
彼岸は煩悩を超越した悟りの境地。対してこちらの此岸(しがん)は迷いの世界。煩悩を超越するなんて、やはり死んだ時にしか出来そうもない。まぁ、そんなこんでご先祖様に手を合わせる・・・何でここに俺がいるのか?って。問われてご先祖様も口篭るだろうけれど・・・わかんねぇな、って。
祖霊まします鯖石の地はどうやら今年の冬を乗り切ったようだ。雪の消えた地面から蕗の薹が顔を出し始めた。まだ、摘むには申し訳ないような、か弱い命に見える。が、此処までくれば、春はもう駆け足。
春のお彼岸、って何かいい感じの響きがあるんだよね。
WBC 日本の優勝
WBC 対キューバとの決勝戦は面白かった。
最近、マスコミ全体が自閉症と言うか鬱病じみていたので荒川静香と王JAPANには助けてもらった思いが強い。大袈裟かもしれないが、自信喪失の日本が大きく変わる変換点になったかの感がある。
失われた10年はチャレンジすることをみんなで申し合わせて抑制していたように思える。未来よりもまず足元を固めよ、と。それはそれでとても大切なことだけど、大きな目標に向かってチャレンジしてゆくことこそもっとも大切なことだと思うのだが・・・、多分そんな管理社会の抑鬱から解放してくれたのではないかと思う。
韓国に負けて、誤審で負けて、それでチームに火がついてしまった。
それにしてもイチローのリーダーとしてのムードメークはすごい! 王監督の采配もすごい! 人間的な魅力を改めて感じた。
久しぶりに野球の観戦を楽しんだ。野球を楽しんでいる選手達の姿が爽やかで、誇り高くて、とにかく嬉しかった。
沖縄の旅
新潟空港から那覇まで約2時間。旅程約1500キロ、温度差約20度。
柏崎の自宅はまだ1メートルほどの雪に覆われ、訪れた沖縄はもう桜も終わって色とりどりの花が咲き誇っていた。那覇の繁華街「国際通り」は半袖でも汗ばむくらい。
悪い冗談!、ホント、いい加減にしてよ!って、そんな感じ。
仕事の関係で宜野湾市の進めている情報化の現状視察。コンピューター化そのものも興味あったけれど、普天間基地移転に伴い経済的な自立を目指している沖縄の現状は他人事では済まされない迫力があった。
市役所の屋上に上れば、普天間基地はほぼ一望の下に見渡される。市の中心部に極東有数の米軍基地が現存し、その周囲を取り巻くように人口10万の町が広がっている。一見「板門店」よりはのんびりして見える風景も、事あれば現実に機能する空軍機が、スクランブル指令を待っていると言う現実は凄みがあり過ぎる。
それでも沖縄の人たちは明るかった。みんな底抜けに明るかった。遠来の客人をもてなす沖縄の人たちのやさしい心配りなのかも知れない。
時間の迫る中、無理お願いして摩文仁の丘を訪ねた。戦争犠牲者個人名を刻み込んだ「平和の礎」に花を手向け、祈りを捧げたかった。気障に聞こえるかも知れないが、終戦を記憶している者にとってこの地名は重いし、どんな議論も空論のように思える。
昭和初年から20年まで、司馬遼太郎の言を借りれば日本の歴史の中「奇胎」としか言いようのない期間、日本は本当に狂っていたのかもしれない。重いね。
40年目の再会
少し大袈裟だけれど、40年振りの再会だった。
当時私は25歳。夢を投げ出して故郷に戻り、建設現場で働いていた。圃場の水路舗装、病院建設現場の雑工事など10人ほどの班を編成し仕事をしていた。一緒に働く仲間は農家の嫁さんや親父達。危険な作業も多かったが仕事そのものは楽しかった。
あれから40年程が過ぎていた。
建設業20年、コンピューター屋が約20年。全力で走り続けて気がついたら「高齢者」に近づいていた。
彼女達から昔の仲間が集まるから顔を出してとの連絡を貰った。嬉しかったね。過ぎてしまえばみんな夢の中のような時間が流れていっている。
子供達は大きくなり、孫も大きくなり、人生の相棒を失った「かぁちゃん」もいる。時は流れていた。
遠い昔の建設現場が目の前に現れ、みんなが生き生きとして働いていた情景が会話の中から浮かび上がってくる。
思わず涙が出そうになった。
紆余曲折、壁にぶち当たり、よろめきながらの人生も案外と悪くなかったのだな。一人ひとりの顔を見ながら、俺はそう思えた。