今日の春

2026年02月22日 風の戯言

山白く 波静かなり 今日の春   草風

風船一揆の帰り山形の斎藤さんが寄ってくれた。
彼の学生時代からの付き合いだからかれこれ50年近くになる。

毎年、春になると手摘みのサクランボを送ってくれていた。
妻が、一つ一つ美味しそうに食べていた笑顔が忘れられないでいる。

庭の「柏崎熱気球会館」で一緒に気球を創っていた貝沼君の子供の名前を「風(はるか)」という。
そんな読み方が古語にあるらしい。
なんか、嬉しくなる響きがあるね。

話が転がる。
今日は久しぶりに地獄ラーメンを食べに行って来た。
「石塚さん! 春が来たよ!」
御夫婦の弾むような声が嬉しい。

転話2
頭の中のモヤモヤをキチンと言語化する、いや文字化しなくてはならない。
キチンとした文書化 急げ! 楽しくなるぞ!

第50回 風船一揆

2026年02月21日 風の戯言


風船一揆 50年で最高のフライトが出来たようだ。

同窓会みたいな交流パーテ―は賑やかな「生きてたか?」がご挨拶。
いつの間にか気球界では最高齢者になっていたようだ。
親しかった仲間が少なくなって行く。

その帰り、最初の頃猛烈なエネルギィーで支援してくれた小千谷市役所の丸山忠夫の娘さんに電話した。
彼が亡くなってもう40年近くになるのかも知れない。
突然の電話に関わらず、彼女が喜んでくれたのが嬉しい。

話は転がるが、
昨日、我が社の「みどりの風」SoFu号を操縦した二人、一人は東大の博士もう一人は高名な医者、が飛び立った後高く上がり過ぎて小千谷の西中からなんと真人(まっと)の山中に消えてしまった。
あそこは谷の幅も狭くいわば秘境(怒られるかな)、追跡班がやっと見つけ細い道の脇に降ろさせたという。
無事で何より。

しかし気球乗りにとって「失敗談程酒を美味しくするものは無い」。
暫く酒の肴になる。
覚悟召され!

絶対安心できる原発を! 柏崎に夢のある未来を!

2026年02月20日 風の戯言

柏崎刈羽原子力発電所 30km圏内で考える  
絶対安心できる原発を! 柏崎に夢のある未来を!

柏崎刈羽原子力発電所6号機が再稼働し、2月16日に首都圏に送電始めたという。
地元経済人の端くれとしてお慶び申し上げます。
3.11以来14年間発電所は止まったままで、全く収入もなく5000人の作業員が働き続けていたことに驚きます。
小早川社長も稲垣所長、そして関係者の皆さんの苦労が実を結んだことに地元の一人として率直に喜びたいと思います。
言うに言えないご苦労があったことと思います。
ありがとうございました。

しかし、原発と柏崎刈羽との真の共生はここからがスタートです。
柏崎刈羽原子力発電所が事業開始以来、本当に立地地域の役に立っていたのか?
電源交付金や****の、その経済的恩恵は大きく、計り知れないかと思います。
しかしその対価として失ったものもまた大きい。

「幸せの方程式」では、まず「安心」の上に築かれる経済力が必要だし、現代科学は「安心」が唯一のテーマになっている。
「安全」は当然なことであり、生身の人間に必要なのは「安心」して暮らせる生活なのです。

今柏崎で原発が不安で反対の人も多い。
危機管理で、もし事故が起きた時の対応として「避難訓練」は大切だけど、地域で暮らす自分たちにとって「避難訓練」とは「もし事故が起きた時」ではなく「事故が起きた時」で「そんなに危ないものなのか」としか受け止められない。「安心」の正反対のものでしかない。雑多な生活用品に囲まれた「日常」から切り離され「避難先」の屋内体育館の床に転がされて寝てろったって、そんなのあんまりゴッツォじゃない。

自分の「幸せの方程式」で言えば、仲間とオダを上げ、子供たちに柏崎の自慢し、やがて故郷の土に帰ることだ。
東京の雑踏の中に自分の人生の幸せがあるとは思えない。
ある人は「柏崎は何もない町です」なんて歌うけど自分は柏崎が好きだ。
なによりも、50年連れ添った女房の眠る場所でもあるのです。

話を戻す。
柏崎に原子力発電所があることに不安を抱く理由は幾つかある。
1には、今の東電に原発の運転を任せておいていいのか?、マスコミの報道にも疑問がある。
2には、原子力エネルギーへの不信だろう。何しろ戦争下とは言え原爆で20万人の一般市民を虐殺されたことは民族として忘れることは出来ないし、東北大震災の原子炉の爆発による放射能汚染への恐怖も忘れる事は出来ないでいる
3には、原発が稼働したとはいえ、溜まり続ける「使用済み核燃料(いわゆる核のゴミ)」の安全な後処理さえ決まっていないことだ。

だから原子力発電所なんて失くしてしまえというのは暴論だと思う。
今後、「電気」は想像以上に必要な時代になるだろうと思う。何よりも、豪雪地帯での一人暮らしの高齢者にとって.電気ほどありがたいものは無い。この冬、停電したら間違いなく南無阿弥陀仏になっていただろう。

だから原子力発電所はこのままでいい、再稼働したからそれでいいなんて誰も思っていない。
全てのものに「寿命」があり、盛者必衰、やがて彼方此方が壊れ新しいものに交代しなくてはならない。
まして海の近くで精密で頑強で安全な施設であることを必要とする原子力発電所は保守だけでは限界があり、新しいシステムが求められる。

今「次世代原子力発電所」の一つに「トリウュム熔融塩炉」という考え方がある。
文春新書より2001年に発行され2011年に改訂された古川和男教授の「原発安全革命」に「トリウム熔融塩炉(MSR)」が上げられている。原子力発電所は化学プラント」であるべきという考えから、原子炉の改革(先生は「革命」だと叫ばれている)。
原子炉の燃料を「固体から液体」へ
原子炉の燃料を「ウランからトリウュム」に
原子力発電所の規模を「大型」から「小型」へ
歴史的には1965~69年にアメリカのオークリッジ国立研究所で26000時間に及ぶ無事故運転が実績としてあり、日本でも1981年7月に茅誠司、西堀榮三郎氏らによる「トリウユム・エネルギー学術会員」が発足し、政界でも二階堂進氏ら108名の自民党員からなる「自民党トリウュム利用推進議員懇談会」が動き出していた。
現在、核兵器の材料になる「プルトニュウム」を生まず、むしろモチアツカイしている「使用済み核燃料」を文字どうり「燃料」として再利用する研究が進んでいる。
このことは柏崎刈羽原子力発電所で特に重要で、81%にまで増えた「核のゴミ」を減らして行く効果が期待でき、研究者によると容量を減らすだけでなく、放射能半減期を数万年から300年くらいまで短縮できるという。短慮者の自分は放射性残存物を「ロケットで太陽に向かってブッ放せ!」と叫んでいる。いかがなものかと自分でも首を傾げているけど・・・でも、そんな未来もありかと思う。

豪雪の中で、雪降ろしや除雪を石塚組に助けて貰いながら生き永らえているけど、原子力がもっと安全になり、小型になり除雪機ならぬ「原子力融雪機」が出来ないものかと夢みている。そんな時代になれば、安心して住める街で、働き働き働き働き、子供達と暮らし続けたい、多くの人はそう思っているに違いない。

そして今、東京電力の「柏崎本社」が2026年度中に建物竣工・オフィス開設し、原子力・立地本部の本社機能の一部が柏崎駅前事務所へ集約される予定だという。
「東京電力は変わり始めている。だってこのまま不祥事が続けば経営が続かないし、世界最先端の大都市で火力発電を続けられる訳がない。何かが動き出しているぞ!」東京の友人達そういい始めている。

「柏崎は何もない町」ではない。
豪雪地だからこそ草木が覚める春が嬉しく、原子力の問題もその苦しさの中から本当の未来を夢みるエネルギーが生まれ、時代を動かさして行くはずだ。

柏崎はエネルギーの町であり、石油産業発祥の地であり、柏崎市役所は「日石町」に所在する。

石塚 修  柏崎市加納 83歳 無職

                                                     (意見広告 原稿)

安里屋(あさどや)ユンタ

2026年02月19日 風の戯言

竹富島ではどこからか流れてくる静かな曲がある。
・・♪・・・マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ・・・
「死んだら神様よ・・・」俺にはどうしてもそう聴こえる。

安里屋(あさどや)ユンタ。
島の古謡を元に1934年に新しく作られた曲らしい。
島に実在した絶世の美人が、赴任してきた役人をケッて島の男と一緒になった、という実話をもとにして唄い継がれているという。

マタハーリヌ シンダラカミサマヨ・・・

西方浄土への旅

2026年02月18日 風の戯言

茂ちゃんに誘われて、5日ほど石垣島の近くの竹富島に行って来た。
星野リゾートとはゼイタク!

だけど石塚組で20年、創風システムで40年近く合わせて60年働き続けて来た。
少しくらい贅沢させて貰っても許してもらえるかな?

竹富島のジャングルを活かした「特別な空間」。
サンゴの石垣で屋根にシーサーが守る家を囲み、「静寂」を大事にしている。
テレビがなく、老いの一人旅は自分と向き合わざるを得ない。

実は「西方浄土への旅」の予行演習だったのだけれど・・・
先に行っていた節子と一緒、持って行った入院中のベッドで見せる笑顔が切ない。

石垣島は25度!
冗談止してくれ、と言いたくなる。
加納はまだ雪の中、日本は広いんだね! と実感!

帰って来て、節子といつも同じことを言っていたのを思い出す。
「やっぱりこの家が一番いいね!」

放浪爺、寅さんみたいにまた旅に出るか?
出れるかなー?

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