明日は節分
明日からまた新しい年度が始まる。
31年度決算は、いろいろな課題を抱えながらなんとか乗り切れた。
裏を振り返ると悔悟の念が捨てきれないが、藪の中を行く人生なんてそんなものだと思っている。
今年はどんな年になるのだろう?
新型ウィルスの反撃
トランプによる世界の攪乱
EU理念の忘却
AIや5Gの各人な、力強い、、人間味のない進化
幾たびか繰り返された歴史の「篩」が新たな未来を作ってゆく。
敵者は生きることを勝ち取り、許され、敗者は去ってゆかざるを得ない。
ただし、賢いもの、力のあるものが生き残るのではない。
新しい時代の、新しい環境とは何か ?
白鳥はなぜ帰らない?
冬はどこに行ったの ♪
今が、遅い秋なのか、早い春なのか、本当に冬なのかよく解らない。
不思議なのは白鳥が北に帰る時期を、本当に知っているのか?
長橋の池には、大勢の白鳥たちが遊んでいた。風が強かったからね。
季節感が狂って、今年は何やら大変な予感がする。
理論は平行線
理論・理屈は何か為にすることがあればいくらでも成り立つ。
純粋な科学技術の理論でさえ、なかなか一致しない。
だから同じ条件で、実験が繰り返され、同じ結果がもたらされたら、その理論は正しいということになるのだろう。
社会現象は時代により地域により様々になる。
共産主義さえ理論闘争が繰り返されている。
泥棒でも三分の理で、要は理論は平行線、ということか。
逃げ口上や詭弁を弄されると理屈で屈服させることは難しい。
理屈を受け入れさせるには人徳が大切だが、世の中は着飾った権威と武力と金なんかなぁ。
弁護士という職業も、理屈と人間的な魅力で裁判長をどう味方につけるか。
その闘争のように思える。
タンスにゴーンも随分と身勝手なことを言っている。
理屈はあるが強欲が過ぎて、いずれホームレスになる。
愛とは何か
社会にあふれた言葉として「愛」がある。
「愛と誠」なんてドラマもあった。
安岡正篤を読み続けていたら
「人が万物と生を同じうするところより生ずる共感を愛という」とある。
解りやすく言えば、万物には命があり、やがて消滅する、ということか。
星の命は何億年もあり、人の命はせいぜい100年であり、トンボや蝶は数日の命なのだろう。
それが真理だから、たった一度の人生を命の尽きる瞬間まで生き尽す、それしかないのだろう。
何も思い煩うことはないのだ。
「愛」とはもっとエッチなことかと思っていた。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
論語読みの論語知らず
勉強は出来るが娑婆での応用力のないバカモノを、陰でそう言い腐していた。
何かの本で読んだことを咀嚼消化せずに自分の見解のように話す恥知らず。
バカタレ ! ハナタレ ! クソッタレ ! とミソクソに言っていたが、どうもそうでは無いらしい。
要は、自分で分かっている心算でも、案外分かっていないんだと悟ることがさらに大事、とのこと。
中途半端に安岡正篤を読み始めたら1ページ毎に無数の槍が飛んでくる。
まさに「吾日に吾身を三省す」である。
「自分は日に何度かわが身を反省する。
人のために考え計って努力出来なかったのではないか
友と交わって誠実でなかったのではないか
教わってそれを習熟しなかったのではないか
人間万事「省」の一字に尽きるとも言えるという。
「省」とは省くの意味もあり要らぬものを捨てること。
文科省は要らないのかも知れないね ?