小正月

2017年01月15日 風の戯言


 久し振りの寒波、雪の小正月を楽しんでいる。

 金曜日夕方から降り始め、昨日は一日雪印、それでも今日は青空が覗いたりして、庭の山茶花に小鳥たちが遊びに来ていた。

 少し、落ち着いたのかも知れない。

 大雪注意報も解除されたようだ。

 もう一日、アナグマのような生活を楽しんでいよう。

ピカソのなりきった男

2017年01月10日 風の戯言


 この3連休はお天気に恵まれ、友の葬儀を上加納の多くの人が送る事が出来た。故人の人徳なのだろう。

 何やら落ち着かぬ気持ちを静めるため、何時もの散歩道を彷徨う。

 「ピカソのなりきった男」(ギイ・リブ)と「政府は必ず嘘をつく」(堤未果)
 「ビカソ・・・」はピカソ、ダリ、シャガール等高名な画家の贋作りの男の話。美術業界の裏話と贋作を作り続け自分が何ものであるのか分からなくなる物語。
 人は絵の美しさより、作者のサインに価値を置く。

 「政府は・・・」は「貧困大国アメリカ」を書き続けた堤美加の最新作、といっても昨年4月の本だが・・・政府とマスコミが作り上げる虚像の世界、我々は矛盾に満ちた虚偽の世界を生かされているのかも知れない。無知なる故だが・・・。

 今一度、メモをと利ながら読みたい本だ。

元日

2017年01月02日 風の戯言


 新しい年が始まった。

 昨年はパラオを放浪していたので、今年は真面目にお正月。

 元日は神社の2年参りは忌み、先祖のお寺清瀧寺、実家のお寺安住寺、自分の菩提寺周広院、過去現在未来のお寺周り。

 今日は秋雄兄のお墓、絹子姉のお墓、実家のお墓参り。

 007は2度死ぬ、じゃないが人間は2度死ぬのだそうな。
 一度目は生命の終わり、そして二度目は人から忘れ去られた時、だそうだ。
 だから、石の墓標を立てるのは永遠に忘れず生きていて欲しいという願いなのか。

 小さい時に両親、祖父母に分かられしまった自分には、誰かにと見守られているような想いと気配を感じていた。

 この世には、俺にはまだ分からない何かがあるのだろう。

 
 お正月、子供達も孫達もみんな元気なのが嬉しい。

 今日は子供や孫達もそれぞれの家に帰り、静寂が戻ってきた。

AI (人工知能) の未来

2016年12月25日 風の戯言


 東大入試に挑戦する「東ロボくん」が「今はやめよう」となったらしい。

 何でだろう? 

 センター試験では難関私立大は「合格圏内」に入ったらしいい。数学、論理、統計は得意なのだが、例えば生物の問題で「ネズミの脳下垂体を除去したらどうなるか」という問に「血が出るか、死ぬだろう」との答え。「ホルモン分泌がなくなり、尿か増える」が生物学の正解らしいのだが、問の意味が全く判らなくなっているのだろう、という。

 我々クラスで言えば「訳が判らない」

 東大卒でも「訳の判らん奴」も多い。古い友人で東大を3回出た、と抜かしている奴がいた。3回も卒業しても「訳の判らぬ」としか言いようがない人もいたけれど。

 要はAI (人工知能)に出来る事は任せ、出来ない事を人間がやる。

 例えば女房の機嫌が突減悪くなる。
 何故か? どうしたら元に戻るのか ? 

 狼狽えながら頭脳をフル回転させ、試行錯誤の末に窮地を脱する。

 こんな事AI (人工知能)に任せていたら大変な事になる。

 「仕返しせよ!」なんて指令が出たらどうすればいいんだよ。

  いやいや、生きているって大変なんだぜ。

クリスマス・イヴ

2016年12月23日 風の戯言


 今日はクリスマス・イヴ キリストの聖誕祭前夜。

 我ら曹洞宗無神論派としても北京のうま煮ラーメンで細やかな2人だけのお祝いの宴を張った。

 キリストはバイブルを残してくれた。
 生きるのに迷った時に、その一節に救われるような言葉が鏤めてある。

 我ら曹洞宗無神論派には般若心経、修証義があるがもう少し現代の言葉に直し、迷える人達に寄り添い、悩みを聞き、語りかける優しさがないと、迷える人を救えないのではないか、と思う。

 我々が仏教に接するのは葬儀の時くらいになった。有り難い、分けのわからない御経を聴く忍耐を強いられ、挙げ句に法話と題してクソ坊主のお説教を聞く事を強要される。

 「仏さん」という人質を取っているからテロを起こす人はないが、坊主ももう少し考えた方がいい。お葬式を現代風にリニュウアルせよ。誰も行かなくなるぞ。

 「職業としての宗教家」を自問自答して欲しい。
 マックス・ウェバーを呼んでみるのも良し、或いは修行の中で、宗教家の目的が何なのか、自分はどうすればいいのか、もだえ苦しんでみて欲しいと思っている。

 今一番必要なのただ一度の人生を納得して生きるための宗教だと思っている。