様々事ありて夏が行く

2017年07月19日 風の戯言


 いろいろ有り過ぎて、何から書いたらいいのか判らない一週間。

 16日には倅の第二子が生まれ、17日に鹿嶋まで孫の顔見に日帰り大人の休日切符。東京駅まで息子が送り迎えしてくれたので助かったけれど、ヘロヘロ。みんなの元気そうな顔が何よりのお土産。

 そして今日は建設業時代の先輩のお通夜。97歳。
 多くの現場を共にしたけれど、忘れられないのは石黒風張農道の時。谷底に資材を送る索道のアンカーがぶっ飛び、ウィンチを蒔いていた「サジン」目がけて埋めていた木が飛びかかり、それはウィンチ小屋の仮設柱に当たり、取りあえずOK。
 しかし、索道に吊したコンクリートを入れた大きなバケツが落下、下の型枠の中に居た仲間の頭上に・・・幸運の女神は此所にもいてくれた。バケツは大きな音を立てて型枠の外側に・・・。
 誰一人怪我をすることもなく、「いやー、たまげたのぉ」で事が済んだ。

 女房は俺のことを「信心深い」と言うけれど、一瞬で命拾いを繰り返すと「誰かに見守られている」としか思えなくなる。
 「人生なんてゴミだ!」と呟きながらも、誰かが見守っていてくれる人生は嬉しいものだ。人に感謝し、自分の幸運を縁ある人達にお裾分けしてやりたい。

 後期高齢者になり、一丁前のことを言うようになったのかな?

ベートーヴェン 「田園」

2017年07月16日 風の戯言


 雨降る田舎道を、ベートーベンの「田園」を聴きながら走っていると、懐かしく幸せな風景に包まれてしまう。
 雨に濡れた周りの木々達が命あるように、樹にも命はあるのだけれど、俺と一緒に耳を澄ませているような錯覚を覚える。

 加納など山の中だけど、八石のステーキを食べに行ったら、人家が何も見えない山の中での店構えは不思議な魅力があった。

 あぁ、まだこんな生活があったな、360度林に囲まれたの中には不思議なやすらぎがあった。

言語と境界

2017年07月10日 風の戯言


 「誰かが私に言ったのだ
   世界は言葉で出来ていると」   山尾悠子

 柴野毅実「言語と境界」こんな巻頭言で始まる。
 柴野さんが「遺書」のつもりで書いた「自然科学的理解を超えて」との副題を付けたこの本は素晴らしい、と思う。
 全部を読み通していないし、読んだとしても俺の理解を超えているのだろうし、人間が最も人間なのは「言葉」があるからだと考えているからだ。

 「サピエンス全史」(これもまだ読み通していない)では、動物の中で、人類の中でホモ・サピエンスだけが唯一生き延びたその要因は「無駄話」が出来たからだ、言っていた。井戸端会議、際限もないお喋りがコミュニケーションのもと、言ってみれば外敵から身を守る情報交換が可能だったからだ、と俺は理解してしまった。
 今も、意味不明な女達の会話には降参なのだが・・・。

 「言葉」に戻る。
 最近、続けていくつかの葬式に参列している。
 以前から感じていることだが、仏式の葬式は「あれはなんじゃらほい!」だ。「お経」なるものは「音」であって「言葉」ではない。従って意味が理解できない。それが「有り難い」のかも知れないが、「坊主業界」はこのままでは絶滅する。

 仏教は、絶ち難き悩みの中で、それでも生きなくてはならない仏の教えであり、救いで有ったはずだ、と思っていた。

 しかし、「言葉」を捨てた仏教に、宗教としての存在価値は消滅する。

 般若心経や修證義を、枕元に置くバイブルのように平易な文章にし、迷ったときに常に足下を照らす明かりにして欲しい。

日曜日はうんじゃらげ!

2017年07月09日 風の戯言


 古賀茂明の「日本中枢の狂謀」を読んでいる。
 今まで、この指摘のことを何故深く考えなかったのだろう。我ながら情けない気持ちになっている。

 「国境なき記者団」に依れば日本の「報道の自由度」は世界72位だという。安倍総理の無茶苦茶振りには驚いていたが、「読売新聞」発言でマスコミが猛烈に突っ込む、と思っていたけど糞詰まりの状態。
 マスコミを信じて、また戦前のようにならなければいいが・・・。
 東京都議選の敗北で、やっと何かが動き出したようだ。

 金曜日、リハビリ休暇を貰うようになって体調が少しづつ回復している。長生きする気はさらさら無いが、成仏寸前まで憎まれ者でいたい。有り難いことだ。

 庭に雀たちが遊びに来てくれるようになって、餌をまいている。日増しに数が増えている。どんな連絡を取っているのか?

集中豪雨 その後

2017年07月05日 風の戯言


 2日の日曜日、実家の墓参りに行ったら、バケツで水をぶっかけられたような、一瞬の大雨にやられた。
 何かあるな? と予感がしていたが、翌日からNHKで全国放送されたような大雨になり、遠くの親族から心配の電話を貰った。

 まぁ、大したことなかった。

 随分と前だが、鯖石川流域が大洪水で、高柳の石塚酒造の大きな酒樽が実家の下の道路上まで流されたことがあった。

 後年、その石塚酒造の下の鯖石川に関を作る工事中、濁流が土嚢の締め切りを超え始めた時、川中に残された大きな水中ポンプを引き揚げるために、川を泳ぎポンプにツナを付けたその瞬間に締め切りが崩れ、濁流に流されかけたこともあった。

 みんな遠い昔話。

 心配されたその後の雨も少なく、台風も太平洋に逸れて、隣のコミュニティと小学校に設置された「避難所」も解除され、鯖石はまた平和な場所に戻った。

 鯖石は、この退屈すぎる時間が流れている、この「時」がいい。