痴呆症の練習
67歳を過ぎたら大分怪しくなってきた。
今日は市役所の駐車場で2台の車に擦ってしまった。イヤハヤ・・・。
忘却とは忘れ去ることなり・・・君の名は・・・忘れた。
過去は霧の彼方に消えて、現在はハッキリせず、未来はミステリアス。まぁ、記憶喪失が好き勝手に飛び回っている状態。
要は全体がボーとしてしまうことなのだが、認知症はその始まりが苦しいという。何故苦しいかといえば記憶がマダラであることを認識している、からだろう。
俺から言えば、そんなことでクヨクヨするのは可笑しい。人間はそうなるのが運命、そうでない人もいるが、なのだから自分が毎日どの変まで進んだか楽しんでしまえばいいことなのだ。
逆手に取る方法もある。一人で海外旅行をすることも多いのだが、困った時にはボケた振りをする。大体言葉がわからないのだから正気だかアンポンなのかは判らない。「御親切に、すみませんねー」なんて「志村」みたいに言いながら敵を観察していると「いいカモ!」とばかり吹っかけてきたりする。
此処が勝負、という時に「キラリッ!」と目を光らせて「違うだろうが・・・!」と電卓をもぎ取って計算しなおして見せると、相手は口惜しそうな、情けない顔して睨んでいる・・・意地悪爺さん・・・・へっへっへ、
何時、何処で会ったか良く覚えていないけれど、マイクロソフトの古川享さんと話したことがある。パーティの席だったので飲み物片手に接近遭遇した程度だったのだけれど、その時の彼の言葉が忘れられない。
「石塚さん・・」渡した名刺を見ながら彼は続けた「ビジネスは目的じゃないんですよね・・・多分、人と出会う為の手段なんだと思うんです。だから、良い人と出会う為に良いビジネスをしなくてはならないんですよね・・・」
今もその言葉を思い出すと目頭が熱くなる。その時まだ彼は30代だったと思うけれど、こんな若者がリードするコンピュータの世界を選んだことは間違いじゃない。そう確信したことを今も忘れられないでいる。
痴呆症は進んでいるが、俺には宝物のような言葉が記憶のそこに残っている。思いっきり楽しんでやるか !
新緑の高柳
新緑の高柳を満喫してきた。
黒姫山の斜面はまだ地肌が出たまま。ブナや他の雑木の新緑が綺麗で、木陰の葉さえ輝いている。夏とは違う佇まいに、そうか日の当る葉が柔らかくて下の木にも太陽の光をお裾分けするので、木全体が柔らかな緑に覆われるのだと確信した。時が移ろい行く姿は、やはり美しい。
門出の和紙工房(小林康夫)さんを訪ね、紙を見せてもらい、辞して車に乗ろうとしたら豚の鳴き声が聞こえた。「いゃぁ、近くの人が猪の子供を捕まえてね」ということで覗いてみたら3匹の「ウリ坊」が元気に囲いの中にいた。
イノシシと人間が共存している。良いもんだ、ね。
今日は午前中は新潟経営品質協議会で笹木事務局長と産業大学寄附講座について協議。午後は新潟県電子機械工業会の通常総会、入会早々理事に名を連ねることになった。役割は柏崎の会員を増やすこと・・・難題だのう?
懇親会の席上、久し振りに平山元知事と暫らく歓談。相変わらずの駄洒落が飛び交い、彼の健康さを推量する。
元日銀支店長、現国際情報大学長の講演時の現代を読み解く経済認識は流石だと思った。現代経済を見通すこれ以上の知性は無いように思う。次はどう動くか、それが問題だ。
懇親会の後長岡でもう1軒寄り道し、電車で柏崎について行き付けのママの店にも寄り、多くの面識者とじゃれあい先ほど帰宅。
忙しくも楽しい67歳の誕生日。
テッセン
Googleで「テッセン」と検索したら「テッセン」、「クレマチス」、「カザグルマ」といろいろあるが違いが良く判らない。子供の頃から、庭に咲く紫の蔓花を「テッセン」と呼んでいたから、それでいいのたろう。
会社の駐車場に何本かの「花水木」があり、西側の一本が「テッセン」に占拠されている。咲き乱れる、なんてヤワな表現では収まらない 狂奔 の様な咲き方だ。
丹精をこめて、毎朝水をやっている富士子さんも「まぁ、すごい !」
昔、実家の畑の真ん中に「鯖石殿」があり、その石柱と電信柱にテッセンが絡まって咲いていたことを思い出す。脇に木蓮の花が咲き、まるで「縄文時代」のような風景を・・・。
花は人の心を癒し、花のような女性は男を勇気付ける。
最近、後援会や本で「地球の限界」を示唆されることが多い。そのまま信じてしまえば絶望の深淵に沈み込んでしまいそうで、自分自身を鼓舞するのに苦労する。
人に元気をうつすのがピエロの役回りなのに、本人が落ち込んでいてどうするんだ。しっかりせい !
柏崎市・産業大学・工科大学連携協定調印式
柏崎には新潟産業大学が1988年、新潟工科大学は1995年に開学している。10万都市に経済、工学2つの大学があることは、多分大きな意味を持つことなんだろうと思う。
毎年400人の学生が柏崎を目指してくれるのも素晴らしいこと、と新入生歓迎会を開いている。それが今回の協定の大きな下地になっている、と大学職員の人から礼を言われとても嬉しかった。
大学と地域の連携により、これからの地域活性化が進めば次世代に大きな成果をもたらすことが出来るのだろう。
調印式が終わり、何人かでアイコンタクトを取り、次の楽しい相談が纏った。大学を卒業するのに7年も掛かった身にとってみると、大学の先生と遊べるなんてメチャ嬉しいこと、なんですよ。学生時代の悪事が帳消しになるわけじゃないけれど・・・。
30年後の柏崎を考えるシンポジューム
久し振りに「講演会」づいている。12日は新潟工科大学交流会で『環境写真家 天野尚氏の『アマゾンの自然環境と誰も知らない佐渡」を大判の写真とエピソード、環境問題の現実等を深い思いの中で聞くことが出来た。
14日は道路舗装協会の総会で「西村晃」氏の経済レポートを聞いた。新しい視点から現実を見直している。追っ掛けやっても価値ありそうな、大ブレークしそうな経済クリエーターです。
15日は県警で防犯連絡協議会、既にプロバイダーではなくWEBシステム製作者を自動車運転技術と同じように教育し取り締まりの対象とすべき、と提案したら警察は喜んでいた。後で後悔することにならなければ良いが・・・。
16日は本番、自治労主催の「30年後の柏崎を考える会」シンポジューム。4人の東大卒の先生に挟まれてのパネラー。「本当はこんなとこきたくなかったんじゃ」と一発ぶちかましてからの発言になった。
シンポは原発後の柏崎の産業を考える会になり、東電の売り上げ5兆円の20%が柏崎、1兆円産業をどう考えるのか、良き資産として継続することが柏崎にとって一番利益になることだと、その間に自立した産業を本気で取り組むべき、と提言した。みんな考えていることは同じなんで、何をどうやって行動に移していくのか、反知性の立場から「とにかくやってみろ」的な行動力が必要となっている。