実りの予感
お盆も過ぎ、そう言えば7日が「立秋」だった。
暑かったり、雨が降ったりでお米の神様は御機嫌良かったのかな。漁業関係者は派手なストライキを打ったりして価格高騰に持っていくのに上手い手を考えたな、と思ったら実は海面が暖かく下は冷温で魚が岩の中で動かない、のだそうだ。だから漁獲量は激減、お盆前の市場は通常の2−3倍、お盆はどうすればいいのか、と割烹の親父が心配していた。
原油価格が高騰し、煽りでバイオ燃料がモテテ、食べる食料品原材料が値上がりし、やがて空気と水も高くなるだろう、と言われている。空気と水はタダだと思っていたのだが、なる程ペットボトルの水はガソリンより高い。
空気も、そのうち身体にメーターを付けられて「ハイ、酸素と水素の使用量はいくら、CO2の排出量はいくら・・・・で今月の請求書はこれ、カードで入金してくださいね。払えない? じゃ酸素止めますよ。エッ、死んだ? あら、ごめんなさいね」なんて時代が来そうな雰囲気。
生きている内に精一杯の恋をしとかないとねぇー。
写真は新道から黒姫山を望む。稲が色づいてきた。
雨のお盆
娘の出産を間近に控え、今年のお盆は自宅でのんびり過している。予定を立てないで、気分のままに時間を過すのは性分に合っているようだ。要は気まぐれ、ということ。
それにしても雨の近いお盆で、毎日どこかの時間で雨が降っていたようだ。お蔭で庭と畑の水の心配も無く、窓から入る涼しい風に身も心も爽やか。
この風景はノーベル賞経済学者スティングリッツの米国経済の告発には、同じ時代を生きているとは思えないほど危機感に乏しい。遠くで雷の音はするけれど、自分のいるこの場所にはこないだろう、そんな感じ。世界経済の動乱と縄文時代が同居している。それもまた幸せのことなんだろう。未来さえなければ、の話だが・・・。
写真は八石山石川峠から米山方向の鯖石の谷を望む。この小さな谷に先祖代々の人生がある。インターネットのレーダーサイトでは強烈な雨雲が近づいている。
ぶどう村 2008夏
気になって、時折「ぶどう村」を覗きに行く。ぶどう畑は文字通り草蓬々で、見放され愛が無くなった寂しげな風景が広がっていた。夏草や兵者共が夢のあと・・・か。
畑の隅の植えられたバラの花が心に残った。
富士子さんが朝日新聞の記事をコピーしてくれた。
サトウタツヤ(立命館大教授)の「心・体 観測」より少し長文だけど引用させていただく。
「最近では感情的知性(いわゆるEQ)が重視されている。例えば仕事が出来る人は–アタマが良いことは大事だが–それ以上に壁にぶつかった時にヒントをたくさんもらえるような人だという。もっと大事なことは、普段から人を助けているような人こそが、自分がピンチの時に助け舟を出して貰えると言うことだ。相手が困っているかどうか見抜く力、これが感情的知性であり、困った時に助け合う関係性こそが、優れた仕事をする条件だというのが最近の考え方である。
自分が正当に評価されていない、困った時に相談する人がいない、と悩む人は多い。だが自分はどうだろうか。誰かが困っていることに気付くだろうか。IQ 等という数値ではなく、そういう敏感さこそがアタマのよさを作って行くのである。
知識社会を超えて行くものは、やはり人間の心か ?