雪の降る街を
シンシンと、雪が降り始めた。
寝ようとしたが、気になってアノラックを被りデジカメを片手に公園の道路まで行って来た。ふっと、「雪の降る街を」が身体の何処かで流れ出した。何か、切ない思いが湧き出してくる。
1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌だ、そうな。1952年・・・昭和27年・・・そっか、親父の死んだ年だ。
10歳の俺がそこにいる。次々に親達は逝ってしまい、死ぬということは「どこにもいなくなる」ということだと、それが判るまでと、判ってからも、辛かったなぁ。消えてしまうような寂しさのなかに、いつも一人でいたような気がする。
そして、みんないなくなってしまった。小林も竹田も中谷も・・・高木さんもいなくなった。医者どんも十三郎先生も福田先生も・・・みーんないなくなった・・・寂しい・・・寂しいよ・・・。
(1) 雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から おちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ
(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を
一人心に 満ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日か解(ホグ)さん
緑なす春の日の そよかぜ
(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
息吹とともに こみあげてくる
雪の降る街を
だれも分らぬ わが心
この空(ムナ)しさを この空しさを
いつの日か祈らん
新しき光ふる 鐘の音
月夜の晩に雪が降る
新潟県経営品質賞のヒアリングシートの記入と送付が終わり、後は15,16,17日の現地審査を待つばかり。
いろいろ振り返ると、恥じ入る事ばかりが多く落着かない。だから終わったことはもう考えないことにしよう。
まぁ、一段落、というところか。16日が本番なんだが・・・。
久し振りに使った脳をクールダウンさせようと窓の外を見たら寒々とした空に冷たい月が輝いている。予報では大雪かと思われたが、積雪は10センチにも満たない。
天気予報は外れた時のブーイングを嫌ってか、正確なものより極端に悪い予報を出しているようだ。変なの !
それにしても雪のない冬は助かる。地球温暖化? 単なる地球の気候変動に過ぎないという見方もある。多分そうだろう。最近は作為ある情報が組織的に流されることも多いようだ。時が過ぎて、真実が明らかになる。未来予測の本を、10年くらい過ぎて読むと著者の技量が見えてくることがある。大前研一の「新・資本論」もその意味で楽しい。
出来ることなら、ゆっくりと時間をかけて、メモを取りながらの読書をしてみたい。目の前を、風に舞う落ち葉のように、文字だけがただひらひらと通り過ぎて行く。頭の中に何も残っていない。あー、嫌だ嫌だ。
年の瀬
27日から年末年始休暇に入り、自堕落で不摂生な生活を楽しんでいる。とはいいながら経営品質の審査が16日に控えているので明日から回答案を準備しなくちゃならん。
経営に対する取り組みの審査、ったって突然巨大彗星が激突したような経済状態の「緊急事態をどう乗り切るか」が喫緊の課題であって、今更教科書的な論を振り回されるのか、少し心配だ。
娘の子供が4ケ月を過ぎて、首も座り彼女の笑顔と笑い声が人の心を掻き毟るようになった。子供と遊ぶのが好きなので、人の子でもみんな懐いてしまう。特技だね。
今年の雪は早く、少し脅されたが今のところ問題なし。
昨年は追悼と復興祈願の花火を揚げるために暴風雨の中を駆けずり回っていた・・・馬鹿みたいだけど、今は「熱い」思い出・・・シアワセな夢の宴でした。