山茶花 一輪

2006年11月11日 風の戯言


 今日は一日中自室で過した。
 本屋から届いた浅田次郎の「中原の虹」に沈殿し、清朝末期の中国に漂っていた。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」そして今回の「中原の虹」。ストーリーテラーとしての構想力の大きさと物語の奥深さに魅了され続けている。一言で言えば「面白い!」のだ。満州国建国の前後に動いた馬賊の棟梁張作リンはいつもステレオタイプの馬賊だった。今回は彼に血が通った。
 読書に疲れて窓の外に目をやれば、垣根の山茶花に一輪の花が付いていた。
 山茶花の人待ちて咲く心あり 佐藤壷泡 
 義兄であり親代わりであった秋雄兄がガンの手術を終えて帰宅したときの句である。その直ぐ後の11月25日、帰らぬ人となった。現職の柏崎医師会長 享年53歳。壷泡は「こほう」と読み、ゴッホから取ったらしい。医師として仰ぎ見るものがあったのだろう。もう33年が過ぎる。
 
 旅を終えて、改めてみる柏崎の風景は美しいと思った。
 山は紅葉、田圃は刈入後に伸びた稲が黄色く染まっている。葉が散って枝ばかりが目立つようになった桜の木も何か新鮮な美しさがある。
 何もかもが誇らしく見え、嬉しくなった。

 様々に想いの中に浸って、旅の後の疲れを忘れさせてくれた一日だった。

上海視察旅行

2006年11月09日 風の戯言


 上海・蘇州・昆山・武漢 5日間の旅をしてきた。
 柏崎商工会議所による地元の中国進出4社を訪問し、それぞれの活躍ぶりを視察してきた。上海は3回目になる。最初は25年も前になる。2回目は5年前。その変り様は「ものすごい!」としか言いようが無い。現代中国の熱気と危うさで目が眩みそうになった。特に上海黄浦江に立つ東方明珠タワー256メートル?から見る上海の全景は圧巻である。
 今日お昼前に富山に帰国、自宅に帰って改めて中国の地図に見入る。マスコミや知識人の伝える中国の危うさを俺はむしろこの国を統治している人たちの努力と苦労としてこそ知るべきではないかと思った。
 13億の人間が、とにかく食えるということが凄い。その上未来に夢を描くことが出来るとしたら、この国の人たちは夢中にならざるを得ない、と思う。
 この国の歴史と現代の熱気に触れずして、読者に迎合したがる日本のマスコミは、また大きな間違いを犯しそうな気もする。

 写真は浦東国際空港から市内に向かう道路の橋

いい日旅立ち

2006年11月04日 風の戯言


 この秋は4組の結婚式に招待されている。
 11月3日、3組目の祝言に親子三人で御呼ばれして来た。
 花嫁が娘の友人で、女房が花婿との間を取り持ち、そして花婿の親父が某会社の社長で俺の友人。乾杯の音頭の栄誉を頂き、気持ちよく、本当に心から「おめでとう」の乾杯が出来た。
 不思議な縁で、両家の集落とも建設業の現役時代、土地改良の仕事をさせてもらっていた。30年前の馴染みの人たちの顔も見え、いい気持ちでお酒を頂いてきた。
 建設業とコンピューター屋、熱気球とパソコン通信、全く違う世界で俺は人の何倍も生きたような不思議な気持ちになる。そして時折こんな繋がりがおきる。
 11月の末に、40年前北条町の田圃で一緒に泥まみれになっていた人たちと一杯飲むのに誘われている。嬉しいね。
 12月の始めには親子三代にわたりお付き合いさせていただいている家の末娘の結婚式に呼ばれている。彼女は私の大切なガールフレンドでもある。婿さんは親子四代に渡るお付き合いの家の近親者である。みんな大切な、俺にとってとても大切な家の「祝言」なのだ。

SHINJOの涙

2006年10月27日 風の戯言


 近鉄バッファローズが消えて以来、俺はプロ野球を見るのを止めた。仰木監督の、近鉄バッファローズの野球にハマったら、巨人や他の球団の野球なんてクソみたいなものだった。優勝を目前にして、最後に負けて、夕焼けの中を去ってゆく男の背中、なんてもうクシャクシャになったものだ。

 今日の新庄の涙が堪らなかった。
 俺の美学から言えば少し違うのだけれど、新庄の涙は許せた。
 一人で闘ってきた男が、みんなの兄貴になっていたんだ。

 久々にいい日だった。

秋、俺の休日

2006年10月23日 風の戯言


 今日は友人の自裁の日、もう4年経つのかなぁ・・・。
 そして明日は中越地震から2年・・・。

 秋晴れの空は青く、色づき始めた公園の落ち葉が俺を不機嫌にさせる。自宅前の中鯖石コミュニティでは秋恒例の鯖石ロードレースで賑わっているが、何か自分とは別世界。寒々とした心の中を通り過ぎる風は、今日の穏やかな天候とは別世界。
 近くのコンビニでスパゲッティの弁当を買い、妻と二人ぶどう園に忍び込んで昼食とする。刈羽三山、米山、黒姫山、八国山が秋空に映え、しばし心豊かな時間が持てた。

 夜「未完成」で宮島さんたちのライブ。アルコール分なしでジャズを聴いていたけれど、これは邪道だ。頭がクラクラするほど酒を飲み、感情のろ過装置を外さないと演奏者も困ってしまう。
 帰り道、若者が一人スケボーを蹴っていた。何故か青春時代の苛立ちが込上げて来て暫らくタイムスリップしていた。俺はあの頃、何にあんなに牙を剥いていたのだろう。金も希望も才能もなく、絶望に打ちひしがれていた。あれからどうして生き延びてきたのか、今も良く判らない。
 
 人生の秋は穏やかな茶系の色合いが似合う。ハズなんだよな。